淡河町
おうごまち
[現在地名]北区淡河町淡河
美嚢郡に属する。淡河川下流域に位置し、西は中村。同川沿いに有馬街道が通る。貞享三年(一六八六)の淡河町由緒書上(村上文書)などによると、三木合戦後羽柴秀吉は有馬則頼に淡河城を預け、天正七年(一五七九)淡川市庭に月六回の定期市(楽市)を認める制札を出した。この頃は中村とよばれ街道沿いに二〇軒ほどしかなかったが、秀吉は停止されていた海辺の山陽道の替りとしてこの道筋が往還に適しているとし、中村を宿次町に取立てるよう有馬則頼に命じた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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