淡輪村(読み)たんのわむら

日本歴史地名大系 「淡輪村」の解説

淡輪村
たんのわむら

[現在地名]岬町淡輪

現岬町の東端部に位置した大村。村のほぼ中央をばん川が北流し、集落の北西部で大阪湾に注ぐ。ほとんどが山間丘陵地で北部および番川流域に平地があるのみ。集落の南を孝子きようし峠越の道が通る。「日本書紀」雄略天皇九年五月条にみえる新羅出兵中病死した紀小弓宿禰が葬られた「田身輪邑」は当地に比定されている。村域内には縄文―弥生遺跡、多くの古墳があり、早くから開かれた地であったことが知られる。中世淡輪庄の地。天正六年(一五七八)と推定される六月一九日の常楽寺証賢・下間頼廉連署書状(鷺森別院文書)吹井ふけ嘉祥寺かしようじ(現田尻町)とともに「谷輪」がみえ、石山いしやま本願寺(跡地は現東区)警固船を明二〇日までに参着させるよう要請されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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