深川庄(読み)ふかわのしよう

日本歴史地名大系 「深川庄」の解説

深川庄
ふかわのしよう

和名抄」に記される深川郷の地を荘域とする荘園で、立荘年代や経緯は不明。「後愚昧記」永和四年(一三七八)四月二二日条に「自長州岡部安房守弘資近人、此次防州大内女性許ヨリ送状、有信去月廿二日請取深川庄畢云々、弘資進小科云々大比々浦(大津郡)預所残事可仰付之由仰遣候故也」とある。また東深川ひがしふかわ飯山いいやま八幡宮所蔵大般若経第一巻奥書に「長州深川庄為八幡宮施入以十方自資力此経書写 永徳元年辛酉四月廿六日」とある。


深川庄
ふかわのしよう

応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)山辺郡に「寺方 下深河庄八町六段大」「大乗院方 上深河庄二町五段」とある。室町期には上下両庄があり、興福寺寺務方と同寺大乗院方に分れていたと考えられる。これは寺門段銭・段米賦課の面積であり、実面積ではない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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