日本歴史地名大系 「深沢郷」の解説
深沢郷
ふかさわごう
永仁二年(一二九四)二月二日の関東下知状写(小早川家文書)に「深沢村内田屋敷并山林」とあり、同村は深沢禅心有経の所領であったが、弘長三年(一二六三)二月一〇日付の譲状によって有経の娘氏女(源女)に祖父深沢太郎隆経から一期という条件で譲与され、氏女一期の後はその弟秋町五郎次郎信経に譲与されることになっていた。しかしその後この帰属をめぐって相論となり、鎌倉幕府によって調停がなされ、相互に和与状が取交わされている。なお深沢有経は正応元年(一二八八)一二月五日、息子信経に甲斐国
深沢郷
ふかさわごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報