深田金之助(読み)フカダ キンノスケ

20世紀日本人名事典 「深田金之助」の解説

深田 金之助
フカダ キンノスケ

昭和期の映画監督



生年
大正6(1917)年1月17日

没年
昭和61(1986)年11月27日

出生地
島根県八束郡東出雲町

学歴〔年〕
松江高等簿記学校〔昭和9年〕卒

経歴
昭和10年京都に出て知人の勧めで日活撮影所に入社し撮影助手となる。16年「天兵童子」4部作でカメラマンとなる。17年日活が大映に吸収され入社するが名カメラマン杉山公平と満州映画協会へ移る。21年帰国し原駒子劇団で舞台監督を経験後、稲垣浩に誘われて25年「俺は用心棒」で助監督になる。「佐々木小次郎」「戦国無頼」などの作品についた後、28年東映京都撮影所に入社。佐々木康に師事。30年萩原遼と「雄呂血の秘密」を共同監督し同年監督に昇進。「忍術左源太」をはじめ多数の時代劇を手がけ、俳優の使い方がたくみだった。正統派だが時代劇に現代劇風の手法をとり入れたりもした。38年東映退社後は39年「白馬剣士」40年「六人の隠密」41年「風雲真田城」などのテレビ映画を監督。また横山やすし主宰の木村映画開発で競艇の記録映画の演出もする。著者「大阿蘇の決闘」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android