おん‐みつ【隠密】
〘名〙
① (形動) (━する)
物事を
かくしておくこと。また、そのさま。
内密。秘密。
※東寺百合文書‐は・建武元年(1334)七月・若狭太良荘時沢名本名主国広代行信重申状「恐自科、雖令隠蜜彼状等、時行訴訟之時」
※
太平記(14C後)三三「天に耳無しといへども、
是を聞くに人を以てする事なれば、互に隠密
(ヲンミツ)しけれ共」
[語誌]室町時代末から江戸時代にかけて①から②が生じる一方で①の
用法がすたれていくが、その背景には仏教語の「秘密」などが徐々に一般化し、①の用法をおかしていったことなどが考えられる。
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隠密
おんみつ
江戸時代の探偵吏の総称。幕府の隠密には、初め伊賀者や甲賀者が使われたが、8代将軍徳川吉宗(よしむね)は紀州から連れてきた御広敷伊賀者(おひろしきいがもの)を改編して御庭番(おにわばん)とし、将軍直属の諜報(ちょうほう)機関に据えた。このほか目付(めつけ)の下僚である小人(こびと)目付や徒士(かち)目付なども、密命を受けて全国に飛び、市井に入り込んで情報の収集にあたった。『幕末風聞探索書』(全3巻・雄山閣出版)には、井伊大老のもとへ京都、水戸をはじめ各地に派遣された探索方からの624通にも上る報告が載っている。
[渡邉一郎]
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隠密【おんみつ】
主君などの密命を帯びて探索に従事した下級武士。南北朝時代にはあらわれ,戦国時代には甲賀者(こうがもの),伊賀者(いがもの)が知られる。江戸時代,幕府では徒目付(かちめつけ),小人目付(こびとめつけ),中間目付(ちゅうげんめつけ),御庭番(おにわばん)などがこれに当たり,幕末で約240名いた。
→関連項目忍術
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隠密
おんみつ
江戸時代,探偵吏の通称
隠 (かくし) 目付ともいう。すでに南北朝時代からあり,主命をうけ商人・虚無僧 (こむそう) などに変装し,敵情調査などを行った。江戸幕府では将軍・老中・若年寄・目付が使用し,おもに大名統制の手段とした。伊賀者・甲賀者は有名。8代将軍徳川吉宗以後,直属の隠密として「お庭番」が置かれた。
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おんみつ【隠密】
主家などの密旨をおびて探索に従事する者をいう。忍者,間者。はやくも南北朝時代に姿をあらわすが,その活躍の盛んになるのは戦国時代からである。甲賀者,伊賀者が有名である。江戸時代に入ると,幕府,諸藩は隠密を用いて諸方面にわたる情報収集につとめたが,彼らはいずれも軽い身分の者であった。幕府には目付の指揮下に徒(かち)目付,小人(こびと)目付があって表裏の活動をし,また将軍以下老中,若年寄,側衆,大目付,目付などの命をうけて探索に従事した者に御庭番があった。
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世界大百科事典内の隠密の言及
【御庭番】より
…江戸幕府の職名。1716年(享保1)徳川吉宗の8代将軍襲職のとき,紀州家から薬込役16人と馬口之者1人を幕府にともない,彼らを〈御庭番家筋〉と定めて隠密御用に用いたのがはじまりである。のち分家が生じて26家となり,その後22家となって幕末にいたった。…
【探索書】より
…1858年(安政5)安政の大獄のとき京都町奉行が京都の公家や水戸藩邸,さらに水戸藩内にも密偵を送ってその動向を所司代に報告し,71年(明治4)太政官正院監部課が探偵を派遣して反政府的動向を調査したときこの名の報告書が作られた。1627年(寛永4)甲賀の隠密が四国,北九州を偵察した報告書の書名〈讃岐伊予土佐阿波探索書〉〈筑前筑後肥前肥後探索書〉は後人の命名。【金井 円】。…
【忍術】より
…そのほか速歩の術,結印と呪文などその技法は多岐にわたる。流派は伊賀流,甲賀流をはじめ武田流,戸隠流,紀州流,楠流など各地に多数あり,その呼称も,忍(しのび),かまり,すっぱ,間諜,乱波(らつぱ),隠密など,地域や流派によりさまざまであった。【中林 信二】。…
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