日本歴史地名大系 「清光院跡」の解説 清光院跡せいこういんあと 山形県:上山市上山城下鶴脛町清光院跡[現在地名]上山市鶴脛町天台宗修験羽黒派の寺院。文永年間(一二六四―七五)から湯(ゆ)町北側の大仏堂(だいぶつどう)山とよばれる丘上にあった。この丘は温泉発見後は湯上(ゆがみ)山、土岐氏以後は山王(さんのう)山とよばれた。大仏堂の別当として城主の信任を得、領内羽黒派の修験を統轄したが、土岐頼行はこの地に山王権現社を建てたので東側丘陵下に移された。延享四年(一七四七)の本末并分限改帳(清光院文書)には、境内縦三五間四尺・横四一間一尺が除地、山王宮、石崎(いしざき)の牛頭天王社(現石崎神社)の別当を兼ね、祈願檀家五二軒・滅罪檀家七六軒、火注連(ひじめ)旦那場(霞場)は御城廻六ヵ村・中川(なかがわ)郷七ヵ村の都合九〇〇軒、頭襟頭(ふれがしら)として郷中の修験寺院二四ヵ寺を統べた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by