江戸時代に町政運営のために町人から選ばれたり、町人に雇われた者の総称。「ちょうやくにん」ともいう。町役人といっても、各都市で呼び方も相違し、また役割も一様ではない。広義の町役人としては、惣町(そうちょう)を支配する江戸の町年寄(まちどしより)、大坂の総年寄などの筆頭町人も含まれる。しかし、江戸の町年寄は奈良屋、樽(たる)屋、喜多村(きたむら)の3家の世襲であり、町人によって選出されたのではない。一般的には江戸では町名主(大坂では町年寄とよぶ)以下の町政担当者と考えてよいだろう。町名主は、兼職を禁じられた専任の役職であったが、大坂などでは兼業が許されていた。町名主は町年寄の下にあって、1人で数か町から10数町を支配した。
[吉原健一郎]
町の事務を専門に扱う職員として、江戸では町代(ちょうだい)が存在した。元来は数町の事務を兼任し、給与は町から支給されるという雇人である。ところが、町々の事務が煩雑になるにつれて、1町に1人を雇い、高給を支払って、町入用(ちょうにゅうよう)の配分をも行うようになった。このため1721年(享保6)に町代の廃止が命じられた。町代のもとには上番(じょうばん)、下(か)番、常(じょう)番などという事務職員も置かれていたようである。町触(まちぶれ)の配布も名主にかわって行ったり、名主や月行事(がちぎょうじ)の代理人として判を押すなどの行為も行われていた。このため、町代を廃し、かわりに物書(ものかき)(書記)を置くことが許され、4~5町ないし10町に1人、または名主支配の範囲での採用ならばよいとされた。しかし、実体としては町代と同様の所業を行うものも多く、のちには書役仲間などもつくられている。
[吉原健一郎]
町の家持町人ないしは家守(やもり)(地主の差配人)が毎月順番で町政事務を担当した。事務所は自身番屋とよばれ、本来は家持町人自身が詰めて執務を行っていたが、のちには月行事が担当するようになった。月行事の職務は町政全般にわたり、町名主のもとで町の管理運営にあたっている。
[吉原健一郎]
町の運営の費用は、地主・家持から徴収される町入用であり、支出としては、国役など幕府に納入する金銀、祭礼の入用、神仏への初穂、町年寄への晦日銭(みそかぜに)、名主の役料、時の鐘の維持費、堀浚(ほりさら)い賃、上水普請(ふしん)の分担金、火消の纏(まとい)入用など多岐にわたった。また、書役の給金や衣類の支給、抱鳶人足(かかえとびにんそく)の給金や衣類、自身番入用(茶、炭、油、ろうそく、夜番増人足賃、紙帳面、筆墨、提灯(ちょうちん)など、梯子(はしご)、水籠(みずかご)、鳶口(とびぐち)、番手桶(おけ)、鉄棒などの修理費、拍子木(ひょうしぎ)、細引、茶碗(ちゃわん)、附木(つけぎ)、灯心など消耗品)、ごみ捨て銭も含まれている。さらに、臨時の入用として、祭礼の供物料、鎮守(ちんじゅ)入用、竜吐水(りゅうどすい)や火の見櫓(やぐら)入用、自身番屋や木戸番屋の修復入用、捨て子の乳代、行倒(いきだおれ)人の入用、道路修理費、水道の樋枡普請(といますふしん)代、下水浚い代、出火のときの弁当代、水溜桶(みずためおけ)入用なども徴収された(寛政(かんせい)期の南伝馬町の例)。こうした費目は、町によって若干の相違があったが、地主・家持層に面積割り、間口(まぐち)割りなどの方法で賦課されたのである。また公役銀を納入する町もあり、同様な方法で徴収された。
月行事は町の五人組から交代で選出された。前記の町入用をみれば、月行事の職務の大体が理解できるが、このほか町内への触の徹底、治安維持、罪人の一時留置なども行っている。また、町々への各種諮問に対する回答や町からの訴訟、喧嘩(けんか)などの仲裁なども業務に入っていた。また、寺社門前町などで、名主を見立てる能力のない町々では、町名主のかわりに月行事持と称し、町名主と同様の職務を行う場合もみられた。これらの町では、月行事持名義の家作もあり、その店賃で町政運営費を調達する場合もみられた。しかし、幕府は町名主支配を指導したため、こうした町々は減少していく傾向にあった。
[吉原健一郎]
『吉原健一郎著『江戸の町役人』(1980・吉川弘文館)』
江戸時代,城下町などで町の行政事務に従事する役人の総称。町役人の身分は町人であるが,その管轄範囲や事務の内容によって区別された。まず町全体(総町)を支配する町役人として,江戸の町年寄,大坂の総年寄のような役職がある。彼らは町の筆頭町人として,町奉行のもとで触の伝達をはじめ多様な総町の行政事務に従事し,同時に町の運営に関する各種の諮問・答申も行っている。複数であることが多く,実務の分担や月番交代で業務を行う場合もあった。大坂の総年寄は合議制であった。こうした総町支配の町役人のもとで,個別の町の支配を担当したのが,江戸の町名主,大坂の町年寄などの町役人である。それぞれの都市によって名称はさまざまであるが,町行政の自治的運営の中心として活躍した町役人である。江戸の町名主のように1人で数町を管轄する場合もあったが,直接住民に接し,町奉行および上層役人の指示によって触の徹底,訴願の取次ぎ,出頭のさいの付添い,不動産取引など契約の確認,トラブルの調停など多様な業務を処理した。町役人は町共同体から選出された事務官であるから,上からの支配業務を行うと同時に,それら共同体の維持にかかわる下からの要求の窓口としての役割も果たしたのである。また,こうした町役人のもとには事務補佐のための手代などが雇われていたり,書記の役目を果たす職種も存在した。これらも広義の町役人ということができる。町役人は自治機関としての町運営に関する権限を所持していたから,その利益代表として不公正な主張を行ったり,不正な利益を得る場合もあった。また町役人は通常自宅の一部を執務場所として使用したが,港町などでは会所を有し自治を強めていた。各町には本町人(家主も含む)の交代による運営機関が町役人の業務を支えていたため,総町の行政は少数町役人のもとで合理的に運営されていた。
執筆者:吉原 健一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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近世都市の個別町の役人。京都・大坂では町年寄,久保田(秋田藩)では町代,仙台では検断というように個々の都市によって名称は異なる。いずれも町の事務を行い町を代表するが,都市や個別町によって世襲であったり,短期の任期での交代制であったりする。京都・大坂の町年寄は1町に1人ずつで任期も長くて3年程度,久保田の町代は同じく短期ながら1町に2人ずつだが,仙台の検断は世襲である。この差異はそれぞれの町の成立事情やそれにもとづく自治的性格の差に由来すると考えられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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