清原太兵衛(読み)きよはら たへえ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原太兵衛」の解説

清原太兵衛 きよはら-たへえ

1712-1788* 江戸時代中期の武士,治水家。
正徳(しょうとく)2年生まれ。出雲(いずも)松江藩士。普請方吟味役。宍道(しんじ)湖の治水策として,日本海とつなぐ排水路開削を藩主松平治郷(はるさと)に進言し,普請奉行に登用される。天明5年から全長約12kmの水路(佐陀(さだ)川)をほりすすめたが,7年11月28日完成を目前にして死去。76歳。通称はは別に大蔵

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む