清水新田村(読み)しみずしんでんむら

日本歴史地名大系 「清水新田村」の解説

清水新田村
しみずしんでんむら

[現在地名]明石市魚住町清水うおずみちようしみず

瀬戸川の中流域にあり、山陽道沿いに開けた村で東は清水村。野々上組に所属。「采邑私記」に旧名清水新町と記され、慶長国絵図では清水新町、寛延二年(一七四九)の播磨国細見図(内閣文庫蔵)でも清水新町とみえる。正保郷帳では新田村との記載で田高一二九石余・畑高一八石余、松山ありとみえる。天保郷帳では高二〇九石余。村の規模は東西一六間・南北七五間、往還道は一二町。郷蔵一・池二・土橋一・用水掘割溝二・用水板橋五・小藪一九。慶長国絵図には一里塚の印がある。産土神は清水村の王子権現、檀那寺は同村の禅宗西福さいふく(現臨済宗妙心寺派)であった(明石記)


清水新田村
しみずしんでんむら

[現在地名]鶴岡市清水新田

下清水村の北、大山おおやま川寄りにある。兼手新田・金出新田ともいわれる。寛文三年(一六六三)庄内藩士本多光正により、井岡二又いのおかふたまた堰から分水する新しい水路が開削され、清水谷地または兼手野とよばれる荒地が開発されて成立した(本多光正君遺徳碑)。寛文五年頃の庄内高帳(鶴岡市郷土資料館蔵)に村名がみえる。弍郡詳記では高一五二石余、免四ツ八分九厘、家数二三。白幡家など三瀬さんぜ村から移住した家が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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