朝日日本歴史人物事典 「清水赤城」の解説
清水赤城
生年:明和3(1766)
幕末の儒者,兵学者。上野国群馬郡(高崎市)生まれ。諱は正徳。字を俊平。通称を俊蔵。淡菴,虚舟,正気堂とも号した。9歳のとき医師である父謙山に伴われて江戸に出て儒学を修めた。特に武術,兵学を好み,長沼流兵学を島田正脩,和合猶水に就いて学び,天文暦算を本多利明から教えられ,さらに剣,槍,砲などの諸武芸を学ぶ。文化3(1806)年ロシアによるエトロフ攻撃に刺激を受け,星山流,南蛮流,自得流などの砲術を研究,これに中国,オランダの砲術を取捨し『火砲要録』9巻を著した。しかし,晩年はオランダ砲術の勃興期に当たり,形式化していた和流砲術は急速に権威を失う。滝沢馬琴ら文人とも交友があった。長男礫州は随筆『ありやなしや』の著者。4男は大橋訥庵。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報