日本大百科全書(ニッポニカ) 「渋沢成一郎」の意味・わかりやすい解説
渋沢成一郎
しぶさわせいいちろう
(1838―1912)
佐幕運動家、実業家。喜作という。武蔵(むさし)国榛沢(はんざわ)郡血洗島(ちあらいじま)(埼玉県深谷(ふかや)市)に生まれる。従弟(いとこ)の渋沢栄一らと攘夷(じょうい)運動を企てたが、のち一橋(ひとつばし)家に仕官、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに従軍後、彰義隊(しょうぎたい)を結成し頭取となったが、副頭取の天野八郎と対立したため脱隊し、さらに振武(しんぶ)軍を組織し官軍に抗したが敗北、箱館(はこだて)五稜郭(ごりょうかく)でも敗れ陸軍糺問(きゅうもん)所に捕らわれる。1871年(明治4)出所後、栄一の推挙で大蔵省に出仕、翌年冬に蚕糸業調査のためイタリアに出張。73年帰国とともに退官し小野組に入社、同社破産後、栄一の援助で渋沢商店を創立し、東京・深川に回米問屋、横浜に生糸売込問屋を経営した。また深川正米市場を設立して頭取となり、東京商品取引所理事長にも就任。
[大村 進]