天野八郎(読み)あまのはちろう

改訂新版 世界大百科事典 「天野八郎」の意味・わかりやすい解説

天野八郎 (あまのはちろう)
生没年:1831-68(天保2-明治1)

彰義隊頭取上野甘楽郡磐戸村の名主大井田吉五郎忠恕の次男江戸に出て旗本天野氏を名のる。1868年(明治1)官軍東征が始まるや,徳川氏の受けた朝敵の汚名をそそごうと幕臣たちを集め,彰義隊を組織して副頭取となる。前将軍徳川慶喜などの説得にも応ぜず,上野寛永寺を本拠として官軍に抵抗。敗軍後市中に潜伏して再挙をはかるが,捕らえられて獄死した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天野八郎」の意味・わかりやすい解説

天野八郎
あまのはちろう
(1831―1868)

幕末の彰義隊副頭取。上野(こうずけ)国(群馬県)甘楽(かんら)郡磐戸(いわと)村で生まれる。1865年(慶応1)江戸定火消与力(じょうびけしよりき)広浜氏の養子となり、翌1866年幕臣天野氏を継いだ。1868年2月彰義隊を結成一橋(ひとつばし)家の臣渋沢喜作(成一郎)を頭取とし、自らは副頭取となった。上野寛永寺を本拠とし、輪王寺宮を擁して徳川家の再興を図る。渋沢が脱してから実権を握った。5月官軍の攻撃に敗れて音羽(おとわ)護国寺に逃れ、市内潜伏中7月13日捕らえられ獄中病死した。享年38。遺骸(いがい)は小塚原(こづかっぱら)に埋葬され、のち東京都荒川区南千住の円通寺に改葬された。

[小島政孝]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天野八郎」の解説

天野八郎
あまのはちろう

1831~68.11.8

戊辰戦争時の彰義隊の副隊長。上野国甘楽(かんら)郡磐戸村庄屋大井田忠恕(ただよし)の次男。のち旗本天野氏を称し,徳川慶喜(よしのぶ)の辞官納地を憤り,幕臣を組織して彰義隊を結成,副頭取となる。慶喜の説得に応じず,上野寛永寺にこもって官軍と戦い敗走。江戸市中に潜伏するが密告により捕らえられ,獄中で病死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天野八郎」の解説

天野八郎 あまの-はちろう

1831-1868 幕末の武士。
天保(てんぽう)2年生まれ。慶応4年彰義隊を組織し,副頭取となる。江戸上野寛永寺にたてこもり,新政府軍とたたかったが敗れ,潜伏中に捕らえられ明治元年11月8日獄中で病死した。38歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。本姓は大井田。名は忠告。号は斃止。著作に「斃休録」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天野八郎」の意味・わかりやすい解説

天野八郎
あまのはちろう

[生]天保2(1831).上野,磐戸
[没]明治1(1868).江戸
江戸時代末期の幕臣。彰義隊副長。大政奉還に強く反対。徹底抗戦後捕えられ獄死。

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