日本歴史地名大系 「渡利村」の解説 渡利村わたりむら 福島県:福島市阿武隈川右岸地区渡利村[現在地名]福島市渡利阿武隈川右岸に位置し、西は小倉寺(おぐらじ)村および阿武隈川西岸の福島城下・鳥谷野(とやの)村・方木田(ほうきだ)村・腰浜(こしのはま)村、東は山口(やまぐち)村・伊達郡大波(おおなみ)村、南は立子山(たつごやま)村と阿武隈川南岸の田沢(たざわ)村・黒岩(くろいわ)村。東部の十万劫(じゆうまんごう)山(四二八・九メートル)を中心に山がちで、集落は阿武隈川沿いの氾濫原上のほか、谷間に散在する。阿武隈川には福島城下と結ぶ信夫(しのぶ)渡が置かれ、村名も渡しに由来するという。「和名抄」(高山寺本)に記載される信夫郡曰理(わたり)郷の遺称地とする説がある。中村街道のほか、立子山村から大沢(おおさわ)坂に入り、絵馬平(えまだいら)・吹上(ふきあげ)から小倉寺村を抜けて当村の舟場(ふなば)に至る飯野(いいの)(現飯野町)からの道が通る。また川俣(かわまた)(現川俣町)から板山(いたやま)に入る通称秋山(あきやま)道は鍛冶(かじ)ヶ原下(はらした)で中村街道と一つになり、山(やま)ノ入(いり)・桜清水(さくらしみず)を経て舟場に達する。いずれも相馬地方から塩や干魚などが運び込まれ、鍛冶ヶ原には塩問屋が置かれた。天正一四年(一五八六)八月、伊達政宗は「和田理」のうち「ふなはし」および居屋敷田町九七〇刈を高野源右衛門尉に与えている(同月晦日「伊達政宗領知朱印状写」伊達家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報