日本歴史地名大系 「腰浜村」の解説
腰浜村
こしのはまむら
福島城下の北に広がり、東は阿武隈川が数段の河岸段丘をつくりながら北流し、北は
文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高八一五石余・七三二石余と二筆で高付され、合計高一千五四八石余。近世初期の邑鑑によると高一千五四八石余、免三ツ七分、家数三四(役家一八、肝煎二、諸職人・寺・脇家一四)、人数六七、役木として桑少しがある。慶長六年(一六〇一)米沢藩の福島城代本庄繁長は上杉氏の減封に伴って一万石から三千三三三石余となったが、その知行は当村と五十辺村・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報