日本歴史地名大系 「湯中子村」の解説 湯中子村ゆなかごむら 群馬県:北群馬郡伊香保町湯中子村[現在地名]伊香保町湯中子東は伊香保村、北は祖母島(うばしま)村(現渋川市)と接し、西は吾妻(あがつま)郡岡崎(おかざき)新田村(現東村)と沼尾(ぬまお)川で境している。寛文郷帳では高九六石余、うち田方一八石余・畑方七七石余で高崎藩領。元禄郷帳では幕府領。安政二年(一八五五)の渋川村組合村柄書上帳(堀口文書)によれば高一三八石余、家数四八・人数二二四、馬二五匹。真言宗高崎光明(こうみよう)寺末の無量(むりよう)寺があったとみえるが、現在はわずかに江戸中期以降の墓石と庭跡、石垣の一部を残すのみとなっている。また同書上帳には「榛名山之北、日影(ひかげ)郷山方村ニ御座候」と記され、農間の稼ぎとして「男者渋川宿惣社町、又者伊香保村江薪附出し売捌」「女者麻布少々宛仕候」と書かれている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by