朝日日本歴史人物事典 「湯山弥五右衛門」の解説
湯山弥五右衛門
生年:慶安3(1650)
江戸中期,相模国足柄上郡川村山北(神奈川県山北町)名主。代々名主を務める湯山家に生まれる。父は理右衛門。元禄16(1703)年の相模国大地震,宝永4(1707)年富士山噴火による砂降りのため,村内の用水破壊による洪水で田畑が荒れ住民の居住が不可能になった。弥五右衛門は宝永6年5月,幕府勘定奉行中山時春に河川敷の新田化,皆瀬川流路変更を訴えたが多大な費用を必要とするため不許可となる。しかし,再度,妻子の連座覚悟で幕府へ訴えた結果,同年11月許可,伊勢国津藩(三重県)藤堂氏による御手伝普請が行われ,酒匂川本流に通じる堀割工事を完成。これにより村は復興した。
(神崎彰利)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報