江戸幕府の職名。将軍手もとの金銀・衣服・調度を管理・出納し,諸大名・旗本らからの献上金銀・諸物,諸大名・旗本らに賜与する金銀・時服などのことを取り扱った。納戸は江戸時代以前は納殿と称し,衣類・諸器具を蔵するところで,出納をつかさどる役人がいたが,職名が定まったのは江戸時代であり,最初は小姓の兼役が過半であった。納戸方の長官を納戸頭といい,1635年(寛永12)初めて2人が置かれた。48年(慶安1)9月に収蔵・購入をつかさどる元方(もとかた)と下賜品を扱う払方(はらいかた)に分かれ4人に増員されたが,1792年(寛政4)閏2月この区別を廃し2人に減員された。若年寄支配,焼火間詰で初め役料が給されたが,1723年(享保8)改めて700石高の職となった。西丸納戸頭は1650年9月世子家綱付の2人が初めて置かれた。納戸頭の下僚は納戸組頭(400俵高,焼火間席)8人,納戸衆(200俵高,焼火間席)24~32人,保管物の警固整理を行う納戸同心(御譜代席,30俵三人扶持~15俵二人扶持)40~60人である。1718年減員,1組4人8組合で32人,組頭8人となった。西丸付の組頭は4人,納戸衆15~16人,同心30人である。なお1650年奥方御用について役方条目が出され,納戸方御用は老中阿部忠秋,松平乗寿の指図するところとなった。
次に,小納戸は将軍に近侍して将軍身辺の雑務を行うもので,寛永初年にはすでにあり,将軍の理髪・食膳・庭方など日常細務に従事した。御髪月代,御膳番,御庭方,御馬方,御筒方などがあり,頭取,御膳番,奥之番の両掛は奥向きの取締りを行い,表役人と応待するので権威があったが,小姓よりは軽い立場であった。若年寄支配,500石高で1000石以下は役料300俵,500石以下は役高500石,人数は100余人であった。頭取は数人で従五位下,1500石高で役料はない。1639年伊藤正次の小納戸奉行就任が最初で,小納戸衆を支配,奥向きを取り締まり,細工方・納戸方の請取物を調べる。西丸にも小納戸が置かれた。
執筆者:大野 瑞男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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