日本歴史地名大系 「満光寺」の解説 満光寺まんこうじ 愛知県:南設楽郡鳳来町下吉田村満光寺[現在地名]鳳来町下吉田 田中浜松(はままつ)道(現国道二五七号)が下吉田(しもよしだ)城跡の山裾を通る。城跡の南東、浜松道の北側にある。曹洞宗、青竜山と号し、本尊は十一面観音。寺伝によれば、貞観二年(八六〇)現字岡(おか)に創建されたが、のち廃寺となり、天文元年(一五三二)鈴木長門守重勝を開基とし、曹洞宗として現在地に復興した。徳川家康がこの寺に宿り、鶏が真夜中にときをつくったので、急いで出発、武田軍の追手を逃れたという伝説がある。慶長六年(一六〇一)家康から寺領三石の墨付が下付され、慶安二年(一六四九)家光も朱印領三〇石を与えた。寛文二年(一六六二)の満光寺末寺調書(満光寺蔵)によると、下吉田村に無量(むりよう)寺・養命(ようめい)庵・天徳(てんとく)寺・法明(ほうみよう)庵・慈雲(じうん)寺、上吉田村に医王(いおう)寺・金光(こんこう)寺・竜珠(りゆうしゆ)庵、竹輪(たけのわ)村に竜洞(りゆうどう)庵・常林(じようりん)寺・竜徳(りゆうとく)庵・竹輪(ちくりん)寺など一二の末寺があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by