源弘(読み)みなもとのひろむ

朝日日本歴史人物事典 「源弘」の解説

源弘

没年貞観5.1.25(863.2.16)
生年弘仁3(812)
平安前期の公卿広幡大納言と称する。正三位。嵯峨天皇の第8皇子で母は上毛野氏の娘。弘仁5(814)年に兄信 と共に源姓を賜って臣下に下った賜姓一世源氏(嵯峨源氏)。宮内卿,信濃守,治部卿などを経て,承和9(842)年31歳で参議。極官の大納言になったのはその17年後である。幼くして儒学史書に親しみ,隷書をよくした。父の天皇学問好きな弘を見て書物を多く与えたので蔵書は兄弟の倍ほどあったという。政務に通じ,公務のあとは琴と読書を楽しみとした。流行の咳病にかかり兄の定に続き死去

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源弘」の解説

源弘 みなもとの-ひろむ

812-863 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
弘仁(こうにん)3年生まれ。嵯峨(さが)天皇の皇子。母は上毛野(かみつけの)氏。弘仁5年兄源信(まこと)らとともに源姓となる。学をこのみ,父天皇からおおくの経書をあたえられた。承和(じょうわ)9年(842)参議。正三位にすすみ,貞観(じょうがん)元年大納言。広幡(ひろはた)大納言と称された。貞観5年1月25日死去。52歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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