源慶安(読み)みなもと・よしやす

朝日日本歴史人物事典 「源慶安」の解説

源慶安

没年享保14.5.9(1729.6.5)
生年:慶安1(1648)
江戸前期の両部神道家,暦学者。近江国(滋賀県)の人。西村遠里は「神学を好み暦象の学を以て本朝天文面一算を著す。然れども此人算術に暗し,故に暦算の玄々を探る事あたわず。暦象の学半途の士」と評している。著書に享保4(1719)年刊の『両部神道口決鈔』(6冊),同5年刊の『本朝天文』(9冊)がある。『本朝天文』は通俗的な暦学書であるが,その第1巻に三天儀と名付ける,中心に地球を置き,その回りを太陽と月がそれぞれの周期をもって巡るようにした仕掛けの,おもりと歯車を利用した作り方が説明してある。このため地球説を広める者として,文雄を始めとする仏教界の須弥山擁護派から敵視された。

(内田正男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源慶安」の解説

源慶安 みなもと-よしやす

1648-1729 江戸時代前期-中期の神道家。
慶安元年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の人。京都二条派の歌人。金勝(こんぜ)入道の名で延宝8年(1680)俳書「二つ盃」をあらわし,貞門談林派論争を評した。また享保(きょうほう)4年神仏習合説をまとめた「両部神道口決鈔」を刊行した。享保14年5月9日死去。82歳。

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