源重信(読み)みなもとのしげのぶ

朝日日本歴史人物事典 「源重信」の解説

源重信

没年:長徳1.5.8(995.6.8)
生年延喜22(922)
平安中期の公卿。六条左大臣と称される。正二位。宇多天皇皇子の敦実親王と左大臣藤原時平の娘の子。賜姓源氏。天徳4(960)年参議となったが,9年後の安和の変で左遷された左大臣源高明女婿であったため一時,昇殿を止められた。正暦5(994)年左大臣に至ったが,翌年病死し正一位を賜られた。父親ゆずりで音楽に秀で笙,笛をよくした。『大鏡』に「恋愛ごとは下手であったが,若々しく愛敬があり人なつっこい」性格とある。宇治別荘を所持し,これを没後,藤原道長が購入(道長の妻倫子は重信の姪),子の頼通に伝えられ平等院となる。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源重信」の解説

源重信 みなもとの-しげのぶ

922-995 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
延喜(えんぎ)22年生まれ。敦実(あつみ)親王王子。母は藤原時平の娘。宇多源氏。源高明(たかあきら)の娘婿。天徳4年(960)参議となる。正暦(しょうりゃく)5年(994)左大臣にのぼり東宮傅(ふ)をかねた。正二位。六条左大臣とよばれる。長徳元年5月8日死去。74歳。贈正一位。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の源重信の言及

【宇多源氏】より

…宇多天皇を祖とする賜姓源氏。一世の賜姓は藤原忠平室となった源順子など女子のみで,他は斉世,敦慶,敦固,敦実諸親王の子の賜姓である。敦実親王の系統が最も栄えた。親王の子源雅信(920‐993)は左大臣として朝廷に重きをなし,弟重信(922‐995)も左大臣に昇ったが,ともに父敦実親王の才能をうけて音楽の道に秀でていた。雅信の兄の寛朝(かんちよう),弟雅慶(がけい)はともに東寺長者,法務,大僧正となり,真言密教の重鎮として活躍した。…

※「源重信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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