平安中期の公卿(くぎょう)。藤原兼家(かねいえ)の三男、母は藤原中正(なかまさ)の女(むすめ)時姫。花山(かざん)天皇に出家の兆しがみえると、父兼家とともに天皇に出家を促し、一条(いちじょう)天皇(母は兼家の女詮子(せんし))が即位。道兼は山科元慶(やましながんぎょう)寺で自分もともに出家すると称してついて行き、天皇の出家直前に帰ってきてしまう話は『大鏡』に詳しい。天皇が出家すると、兼家は摂政(せっしょう)に、自分は蔵人頭(くろうどのとう)となり、7人を超えて権中納言従三位(ごんちゅうなごんじゅさんみ)に進んだ。991年(正暦2)内大臣、994年右大臣に任ぜられた。父兼家の死後、兄道隆(みちたか)の摂政の後を受け、道隆亡きあと、995年(長徳1)関白となったが、就任後、7日で薨(こう)じた。七日関白、粟田(あわた)関白、二条関白とよばれている。
[山中 裕]
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(朧谷寿)
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