朝日日本歴史人物事典 「源雅兼」の解説
源雅兼
生年:承暦3(1079)
平安末期の公卿,歌人。村上源氏。右大臣源顕房と因幡守藤原惟綱の娘(惟子)の子。大治5(1130)年参議。治部卿を兼ね,従三位権中納言に至る。薄雲中納言と号した。保延1(1135)年病により出家。有能な官僚として白河・鳥羽両院より絶大な信頼を得,源師時,藤原忠宗などと共に天下を支える臣と称えられた。堀河天皇に近侍して堀河院歌壇に接し,藤原忠通の歌壇にも参加。『金葉集』以下の勅撰集に9首入集。また漢詩が『和漢兼作集』に残る。<著作>『雅兼卿記』
(渡辺晴美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報