〈いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす〉という七五調四句の歌。手習いのはじめに異なったかなを覚えるため,当時の異なった音節にあたるかなをすべて集め,意味ある歌としたもの(ただし,清音濁音は一つに合併してある)。歌の意味は〈色は匂へど散りぬるを,我が世たれぞ常ならむ,有為の奥山今日越えて浅き夢見じ,酔ひもせず〉で,《涅槃経》の四句の偈(げ)〈諸行無常,是生滅法,生滅滅已,寂滅為楽〉の意をとったものという。手習歌は平安初期に〈あめつちの詞〉があって48のかなからなり,ア行ヤ行のエの音の区別があった時期の状態を反映しているが,後にその[e][je]の区別が失われ,源為憲は970年ころ(天禄年間)著したその著《口遊(くちずさみ)》の中で48字の〈あめつちの詞〉をしりぞけ,47字の〈太為仁歌(たゐに歌)〉を作ってこれがすぐれていると称している。したがってそのころ〈いろは歌〉はいまだ世に行われていなかったとみられる。950年ころまでの作ならば48音節の区別があったはずであり,弘法大師の作というのは平安末ころからの説である。〈いろは歌〉の全文は承暦3年(1079)本の《金光明最勝王経音義(こんこうみようさいしようおうぎようおんぎ)》に万葉仮名で書かれているのが現存最古で,1109年(天仁2)に源信僧都が〈いろは〉の作者を論じたという。1143年(康治2)に死んだ覚鑁(かくばん)は《伊呂波釈》《伊呂波略釈》を著し,1142年西念が〈いろは〉を沓冠に置いた〈極楽願往生歌〉を詠んでいる。〈いろは〉はそのころから広く行われ,音節の順序を示すために用いられるようになり,《色葉字類抄》《伊呂波字類抄》《節用集》などいろは引きの辞書も作られるにいたった。〈いろは歌〉の最後に〈京〉の字を置くことは,すでに鎌倉時代に始まっているが,理由は明らかでない。
執筆者:大野 晋
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…たとえば,今日でも,これは,動詞の活用を説く基礎になっている。また,五十音図と同じころに,〈いろは歌〉が作られた。これは,当時の標準的な日本語において,単独で発音しうる音節を集成したものである。…
…たとえば,idha〈ここに〉はサンスクリットのihaより明らかに古い。終りに《娘道成寺》の文句などで有名であり,換骨奪胎して日本のいろは歌になった無常偈のパーリ語原文と漢訳をあげる。aniccā vata sankhārā,uppāda‐vayadhammino,uppajjitvā nirujjhanti,tesam vūpasamo sukho.〈諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽〉。…
…この無常なる生滅の法を有為法(ういほう)とし,生滅を滅した法を無為法とする。いろは歌はこの諸行無常偈を詠んだものともいわれる。すなわち〈色は匂へど散りぬるを〉は諸行無常,〈我が世たれぞ常ならむ〉は是生滅法,〈有為の奥山今日越えて〉は生滅滅已,〈浅き夢見じ酔ひもせず〉は寂滅為楽である。…
…このような農民の教育もまた,村内の寺または近辺の中小寺院で行われており,狂言《伊呂波》《御伽草子》《丹後物狂》などでは寺の農民教育が素材となっている。その学習は手習いが中心で,教科書としては〈いろは歌〉,各種の往来物などであった。戦国時代,越前国江良浦の農民たちは,村に〈いろは字〉さえ教えるものがないという理由で,旅の僧に家を与えてこれを滞在させている。…
※「伊呂波歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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