伊呂波歌(読み)イロハウタ

デジタル大辞泉 「伊呂波歌」の意味・読み・例文・類語

いろは‐うた【×伊呂波歌】

平仮名47文字を1字1回使って作った、七五調4句の今様歌。「色はにほへど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ、有為うゐ奥山けふ越えて、浅き夢見じひもせず」がそれで、鎌倉時代以降、末尾に「京」、あるいは「ん」がつけ加えられるようにもなった。涅槃経ねはんぎょう諸行無常是生滅法ぜしょうめっぽう生滅滅已しょうめつめつい寂滅為楽じゃくめついらく」の意を訳したものという。弘法大師の作といわれてきたが、現在では否定されている。平安中期以後の作で、手習い手本字母表として使われた。最も古くみられるのは承暦3年(1079)の「金光明最勝王経音義」である。→あめつちの詞たいに
伊呂波短歌」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「伊呂波歌」の意味・読み・例文・類語

いろは‐うた【以呂波歌】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 涅槃経(ねはんぎょう)の四句の偈(げ)「諸行無常、是生滅法生滅滅已寂滅為楽」の意を表わしたといわれる「色はにほへど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ、有為(うゐ)の奥山けふ越えて、浅き夢見じ酔(ゑ)ひもせず」の七五調四句四七文字からなる今様歌。同一文字が重出しないようにして作られており、平安中期ごろ韻学の世界で作られ、声調を整えるのに用いられたが、また手習いの手本や字母表および物の順序を示すのにも使われた。最も古く見えるのは承暦三年(一〇七九)の「金光明最勝王経音義」である。また、末尾に「京」がつけ加えられて用いられたのは鎌倉時代から、「ん」がつけ加えられたのはかなり時代が下ると思われる。いろは。いろは字。
  3. いろはたんか(以呂波短歌)
    1. [初出の実例]「以呂波哥の中に〈略〉十分にいたりてみれば何もなし仏といひて疵を付けり」(出典:狂歌・古今夷曲集(1666)一〇)

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改訂新版 世界大百科事典 「伊呂波歌」の意味・わかりやすい解説

いろは歌 (いろはうた)

〈いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす〉という七五調四句の歌。手習いのはじめに異なったかなを覚えるため,当時の異なった音節にあたるかなをすべて集め,意味ある歌としたもの(ただし,清音濁音は一つに合併してある)。歌の意味は〈色は匂へど散りぬるを,我が世たれぞ常ならむ,有為の奥山今日越えて浅き夢見じ,酔ひもせず〉で,《涅槃経》の四句の偈(げ)〈諸行無常,是生滅法,生滅滅已,寂滅為楽〉の意をとったものという。手習歌は平安初期に〈あめつちの詞〉があって48のかなからなり,ア行ヤ行のエの音の区別があった時期の状態を反映しているが,後にその[e][je]の区別が失われ,源為憲は970年ころ(天禄年間)著したその著《口遊(くちずさみ)》の中で48字の〈あめつちの詞〉をしりぞけ,47字の〈太為仁歌(たゐに歌)〉を作ってこれがすぐれていると称している。したがってそのころ〈いろは歌〉はいまだ世に行われていなかったとみられる。950年ころまでの作ならば48音節の区別があったはずであり,弘法大師の作というのは平安末ころからの説である。〈いろは歌〉の全文は承暦3年(1079)本の《金光明最勝王経音義(こんこうみようさいしようおうぎようおんぎ)》に万葉仮名で書かれているのが現存最古で,1109年(天仁2)に源信僧都が〈いろは〉の作者を論じたという。1143年(康治2)に死んだ覚鑁(かくばん)は《伊呂波釈》《伊呂波略釈》を著し,1142年西念が〈いろは〉を沓冠に置いた〈極楽願往生歌〉を詠んでいる。〈いろは〉はそのころから広く行われ,音節の順序を示すために用いられるようになり,《色葉字類抄》《伊呂波字類抄》《節用集》などいろは引きの辞書も作られるにいたった。〈いろは歌〉の最後に〈京〉の字を置くことは,すでに鎌倉時代に始まっているが,理由は明らかでない。
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百科事典マイペディア 「伊呂波歌」の意味・わかりやすい解説

いろは歌【いろはうた】

手習いのはじめに仮名を覚えるため,異なった音の仮名を集めて意味をなす歌としたもの。〈いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす〉の47字。末尾に〈ん〉または〈京〉を付することがある。〈色は匂へど散りぬるを,我が世誰ぞ常ならむ,有為の奥山今日越えて浅き夢見じ,酔ひもせず〉なる意の七五調の和讃形式の歌謡で,《涅槃経(ねはんぎょう)》の偈(げ)を和訳したものとされる。コの甲乙2類の別はもとより,10世紀中ごろまで区別のあったア行のエeとヤ行のエjeとの区別もないため,10世紀末以後の成立と推定されるが,い・ゐ,え・ゑ,お・をの区別がある点よりみて,これら両音の混淆(こんこう)の生じた平安後半期以前の成立と考えられる。平安末以降弘法大師空海の作と信じられ,仮名の種類を網羅したものとされた。仮名遣いの問題は13世紀初めごろから生じた。
→関連項目五十音図平仮名

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旺文社日本史事典 三訂版 「伊呂波歌」の解説

伊呂波歌
いろはうた

中世以降の手習い歌の一つ。七五調4句の今様風の47字からなる
「色葉歌」とも書く。「色は匂へど……」の意は『涅槃経 (ねはんぎよう) 』の4句偈 (げ) 「諸行無常……」からとったといわれ,空海作と称せられるが定かではない。10世紀後半の成立と考えられる。平安末期以降,手習い歌として庶民教育に広く使用された。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「伊呂波歌」の解説

いろは歌
(通称)
いろはうた

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
いろは歌誉桜花
初演
文化3.1(大坂・中村歌六座)

いろは歌
いろはうた

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明和2.1(京・嵐座)

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世界大百科事典(旧版)内の伊呂波歌の言及

【国語学】より

…たとえば,今日でも,これは,動詞の活用を説く基礎になっている。また,五十音図と同じころに,〈いろは歌〉が作られた。これは,当時の標準的な日本語において,単独で発音しうる音節を集成したものである。…

【パーリ語】より

…たとえば,idha〈ここに〉はサンスクリットのihaより明らかに古い。終りに《娘道成寺》の文句などで有名であり,換骨奪胎して日本のいろは歌になった無常偈のパーリ語原文と漢訳をあげる。aniccā vata sankhārā,uppāda‐vayadhammino,uppajjitvā nirujjhanti,tesam vūpasamo sukho.〈諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽〉。…

【無常】より

…この無常なる生滅の法を有為法(ういほう)とし,生滅を滅した法を無為法とする。いろは歌はこの諸行無常偈を詠んだものともいわれる。すなわち〈色は匂へど散りぬるを〉は諸行無常,〈我が世たれぞ常ならむ〉は是生滅法,〈有為の奥山今日越えて〉は生滅滅已,〈浅き夢見じ酔ひもせず〉は寂滅為楽である。…

【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より

…このような農民の教育もまた,村内の寺または近辺の中小寺院で行われており,狂言《伊呂波》《御伽草子》《丹後物狂》などでは寺の農民教育が素材となっている。その学習は手習いが中心で,教科書としては〈いろは歌〉,各種の往来物などであった。戦国時代,越前国江良浦の農民たちは,村に〈いろは字〉さえ教えるものがないという理由で,旅の僧に家を与えてこれを滞在させている。…

※「伊呂波歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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