ケレスチヌス2世(読み)ケレスチヌスにせい(その他表記)Coelestinus II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケレスチヌス2世」の意味・わかりやすい解説

ケレスチヌス2世
ケレスチヌスにせい
Coelestinus II

[生]?. チッタディカステッロ?
[没]1144.3.8.
チッタディカステッロ出身とされる第165代教皇在位 1143~44)。マチェラータ出身という説もある。本名 Guido。貴族出身の学者であり,ピエール・アベラールのもとで学んだ。1127年,教皇ホノリウス2世(在位 1124~30)によって助祭枢機卿(→カーディナル)に,1134年頃には教皇インノケンチウス2世(在位 1130~43)により司祭枢機卿に叙階された。1140年,サンスでの会議でアベラールの教説を非難したが,そののちも友好関係を維持した。1143年9月に教皇に選出され,まもなくフランス国王ルイ7世(在位 1137~80)に対して出されていた聖務禁止令を解いた。

ケレスチヌス2世
ケレスチヌスにせい
Coelestinus II

教皇ホノリウス2世(在位 1124~30)の対立教皇(在位 1124.12.)。本名 Teobaldo Buccapeco。教皇カリクスツス2世(在位 1119~24)の死後,対立関係にあった有力貴族フランジパニ家とピエルレオーニ家が教皇の座を争った。ケレスチヌス2世はピエルレオーニ家に擁立され,フランジパニ家が推した教皇ホノリウス2世と同時に選出された。両教皇の選出後,暴力的な抗争が続くさなか負傷し,退位を余儀なくされた。数日で退位したため,公式な歴代教皇のリストからは除外されている。

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