源雅頼(読み)みなもとのまさより

朝日日本歴史人物事典 「源雅頼」の解説

源雅頼

没年:建久1.8.3(1190.9.4)
生年大治2(1127)
平安末期の公卿。権中納言源雅兼と大納言源能俊の娘の子。後白河天皇の蔵人,弁官,伊勢・遠江の権守を経て嘉応1(1169)年権中納言,治承3(1179)年辞するが寿永2(1183)年正二位。文治3(1187)年妻の病のために出家有職故実に通じ,文書,日記類を多く所蔵する。摂関家の藤原忠通と親交が深く,その子の兼実とも密接なつながりがあった。また,源頼朝近習,中原親能家人で息子の兼忠の乳母の夫であったことから治承4(1180)年頼朝の蜂起後,頼朝の意向の伝達者として京と鎌倉とのパイプ役を果たし,特に兼実と頼朝の仲介役となる。『平家物語』巻5には雅頼に伺候する青侍が,将軍職が平氏から源氏へ,そして藤原氏へと移行する夢を見,青侍が喚問される前に逐電すると語られる。これは『平家物語』成立時期ともかかわるが,治承4年12月6日に雅頼邸で親能が追捕されかけた事件と関係しているかもしれない。

(櫻井陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源雅頼」の解説

源雅頼 みなもとの-まさより

1127-1190 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
大治(だいじ)2年生まれ。源雅兼の子。母は源能俊(よしとし)の娘。長寛2年(1164)参議。治承(じしょう)3年(1179)権(ごんの)中納言で解官,のち正二位。猪熊(いのくま)源中納言とよばれる。有職(ゆうそく)家。源平争乱期には家人(けにん)の中原親能(ちかよし)を通じて,源頼朝と九条兼実(かねざね)のあいだを仲介した。建久元年8月3日死去。64歳。

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