溝部村(読み)みぞべむら

日本歴史地名大系 「溝部村」の解説

溝部村
みぞべむら

[現在地名]加茂川町溝部

備前備中・美作三国の国境に位置し、国境付近に発する豊岡とよおか川の川沿いの谷間にある。南は森久もりひさ村、北は美作国真島ましま上山うえやま(現真庭郡落合町)、西は備中国上房じようぼう川関かわぜき(現有漢町)大山往来が南北に通る。当村は備前国最北端の地として重要な位置を占めていた。寛永備前国絵図に村名がみえ、高一八七石余。寛永七年(一六三〇)検地では朱印高のほか改出高三九石余(貞享元年「津高郡高目録」池田家文庫)。「備陽記」では田畠一五町二反余、家数四七・人数二一五。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば直高三二五石余は家老金川かながわ陣屋(現御津町)日置氏給地。二口高二四三石余、残高一八二石余、田方八町三反余・一三〇石余、畑方八町余・五一石余、家数三三、うち社方三、人数一四四、うち社方六、牛八、池一、堰八、百姓自林八町六反余、猟師鉄炮三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む