中国、安徽(あんき)省東部、江蘇(こうそ)省に隣接する地級市。滁河流域に位置する。2市轄区、来安(らいあん)など4県を管轄し、明光(めいこう)、天長(てんちょう)の2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口453万3540(2010)。戦国時代は楚(そ)に属し、秦(しん)代の九江(きゅうこう)郡、漢代の建陽(けんよう)県の地であり、後漢(ごかん)代には全椒(ぜんしょう)県とよばれた。南北朝時代に頓丘(とんきゅう)県が置かれ、隋(ずい)代には滁州の州治となり、1912年滁県と改められた。1982年市制施行。
滁河北方の丘陵地帯にあたり、揚子江(ようすこう)と淮河(わいが)の間の景勝地として知られる。また、古くより群雄興起の地で、朱元璋(しゅげんしょう)がここに拠(よ)って明(みん)朝創業の基礎を固めたことは有名。周辺は米、小麦のほか、チョマ、綿花、タバコ、ナタネ(アブラナ)などを産する農業地帯である。琅邪山(ろうやさん)は観光地として知られる。
[林 和生・編集部 2017年7月19日]
中国,安徽省東部の市。〈じょしゅう〉とも読む。滁県地区の中心。張八嶺山脈の南東麓,長江(揚子江)の支流である滁河の上流にある。淮河(わいが)中流域より長江下流域をうかがう入口にあたり,また江蘇・安徽の境に近く,南京,揚州,合肥を攻略する要地であった。とくに南京にとっては肩背の位置にあり,古くは三国の呉を討つ要道にあたり,また元末の反乱期には,紅巾軍の将郭子興の兵であった朱元璋(のちの明の洪武帝)がこの地に拠って挙兵し,長江を南渡して南京を陥れ中国全土の統一に成功している。地区の古い中心は南の全椒(ぜんしよう)県で,秦・漢のときから県があった。こちらは南北朝のとき,滁河沿岸地域が開発されたのに従い,南朝宋によって新昌郡(県は頓邱(とんきゆう)県)が置かれたのに始まる。その後,南譙(なんしよう)州となり,隋に滁州(県は新昌県,つづいて清流県)となった。滁河は涂河とも書き,呉の涂塘,五代南塘の瓦梁堰(がりようえん)などの水利施設が設けられ,灌漑が発達した。また市の南西にある琅琊山(ろうやさん)には,唐の創建になる琅琊寺(宝応寺,開化寺)や,宋の欧陽修が知州であったとき建てた酔翁亭がある。
執筆者:秋山 元秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…こちらは南北朝のとき,滁河沿岸地域が開発されたのに従い,南朝宋によって新昌郡(県は頓邱(とんきゆう)県)が置かれたのに始まる。その後,南譙(なんしよう)州となり,隋に滁州(県は新昌県,つづいて清流県)となった。滁河は涂河とも書き,呉の涂塘,五代南塘の瓦梁堰(がりようえん)などの水利施設が設けられ,灌漑が発達した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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