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滁州 ちょしゅうChú zhōu

世界大百科事典 第2版の解説

ちょしゅう【滁州 Chú zhōu】

中国,安徽省東部の市。〈じょしゅう〉とも読む。滁県地区の中心。張八嶺山脈の南東麓,長江(揚子江)の支流である滁河の上流にある。淮河(わいが)中流域より長江下流域をうかがう入口にあたり,また江蘇・安徽の境に近く,南京揚州合肥を攻略する要地であった。とくに南京にとっては肩背の位置にあり,古くは三国の呉を討つ要道にあたり,また元末の反乱期には,紅巾軍の将郭子興の兵であった朱元璋(のちの明の洪武帝)がこの地に拠って挙兵し,長江を南渡して南京を陥れ中国全土の統一に成功している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


ちょしゅう / チューチョウ

中国、安徽(あんき)省東部、江蘇(こうそ)省に隣接する市。州地区級市の中心地で、州地区級市は来安県など4県を管轄し、明光、天長の2市の管轄代行を行う。総人口424万9314、市轄区人口48万9795(2000)。市は、河流域に位置する。戦国時代は楚(そ)に属し、秦(しん)代の九江郡、漢代の建陽県の地であるが、後漢(ごかん)には全椒(ぜんしょう)県とよばれた。南北朝に頓丘(とんきゅう)県が置かれ、隋(ずい)代には州の州治となり、1912年県と改められた。1982年市制施行。河北方の丘陵地帯にあたり、揚子江(ようすこう)と淮(わい)河の間の景勝地として知られるほか、古くより群雄興起の地で、朱元璋(しゅげんしょう)がここに拠(よ)って明(みん)朝創業の基礎を固めたことは有名。周辺は米、小麦のほか、苧麻(ちょま)、綿花、タバコ、菜種などを産する農業地帯である。琅邪(ろうや)山は観光地として知られる。[林 和生]

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世界大百科事典内の滁州の言及

【滁州】より

…こちらは南北朝のとき,滁河沿岸地域が開発されたのに従い,南朝宋によって新昌郡(県は頓邱(とんきゆう)県)が置かれたのに始まる。その後,南譙(なんしよう)州となり,隋に滁州(県は新昌県,つづいて清流県)となった。滁河は涂河とも書き,呉の涂塘,五代南塘の瓦梁堰(がりようえん)などの水利施設が設けられ,灌漑が発達した。…

※「滁州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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