朝日日本歴史人物事典 「滑甚兵衛」の解説
滑甚兵衛
生年:生年不詳
江戸中期の播磨国(兵庫県)姫路藩寛延大一揆の指導者。飾西郡古知之庄(夢前町)の人。住居地の小字により滑甚兵衛と呼ばれた。一揆のとき,40~42歳で持高11石余。寛延2(1749)年姫路藩松平氏の治政下,凶作による年貢の延納要求や大庄屋,庄屋の不正糾弾のため農民が蜂起。単発的な強訴や打ちこわしののち,1月28日飾西郡前之庄組大庄屋打ちこわしを幕開けとして,藩内の平野部,海岸部に波及し,2月3日まで打ちこわしが展開した。甚兵衛は発端となった打ちこわしを巧みに組織し,一揆後,甚兵衛宅を「なめら会所」として地域自治が成立。首謀者として磔刑に処せられ,のち義民として祭られた。<参考文献>『姫路市史』3巻本編近世1
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報