日本歴史地名大系 「漆谷村」の解説 漆谷村うるしだにむら 富山県:東礪波郡上平村漆谷村[現在地名]上平村漆谷下島(したじま)村の北、庄川左岸の低地に位置し、西後背は猿(さる)ヶ山(一四四七・八メートル)。五箇山(ごかやま)道(飛州小白川村間道)が通り、北は小瀬(おぜ)谷を通って小瀬峠に至る。村内の水上(みずかみ)谷から南を上在所(かみのざいしよ)、北を下在所とよぶ。「三州志」に「高桑勘解由左衛門居たり、伝え無し」とある。口碑に道場近くを落人屋敷とするが確証はない。寛永七年(一六三〇)の高九六石余、免五ツ一歩余、定納金子一七両余(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)。 漆谷村うるしたにむら 京都府:北桑田郡京北町漆谷村[現在地名]京北町大字漆谷周山(しゆうざん)一二ヵ村の一。大堰(おおい)川の支流明石(あけし)川の最上流に位置する山間集落。南に川を下ると矢代中(やしろなか)村に達するが、他の三方はほぼ山に囲まれている。中世は吉富(よしとみ)新庄に含まれる。慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)以降丹波国篠山藩領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報