濁俣村(読み)にごりまたむら

日本歴史地名大系 「濁俣村」の解説

濁俣村
にごりまたむら

[現在地名]西川町入間いりま

寒河江さがえ川支流の大入間おおいりま川上流に位置し、標高四〇〇メートル付近の緩斜面集落がある。東と北は入間村の枝郷小山こやまで、入間村に取囲まれた形になる。濁股あるいは濁又とも書き、小山地区の澄又すみまたとの対比となっている。最上氏領から元和八年(一六二二)左沢藩領となり、寛永八年(一六三一)庄内藩預地から翌九年庄内藩領となるが、慶安元年(一六四八)以降松山藩(天明五―八年は幕府領)。元和九年の高三八石余(最上記)正保郷帳では田方三一石余・畑方七石余。天明七年(一七八七)には高四〇石余・新田高一石余で、反別田一町七反余・畑五反余、家数一三・人数七六の小村

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android