瀬嵐村(読み)せあらしむら

日本歴史地名大系 「瀬嵐村」の解説

瀬嵐村
せあらしむら

[現在地名]中島町瀬嵐

通称「せらし」ともいう。東は七尾西湾を隔てて能登島(現能登島町)を望み、南東和倉わくら(現七尾市)と相対する。沖合南へ一〇町の辺りにたねヶ島・つくえ島がある。西は中島村。文明一二年(一四八〇)七月末、京都の歌人招月庵正広が歌友であった能登守護畠山義統から「瀬良志と云所に木像の人丸あり、そのほか浦々をも見侍るへきよし」との書状を得て、翌八月二〇日守護所のあった能登府中ふちゆう(現七尾市)に赴いている(松下集)。天文一三年(一五四四)に前京都東福寺住持彭叔守仙が能登の檀越温井紹春のために撰した漢詩文「独楽亭記」のなかに七尾湾の風光明媚が詠まれ、「世良志」の地名がみえる。当地一帯は七尾湾を代表する景勝地の一つであった。戦国後期頃の瀬良志せらしは、大名能登畠山氏の直領と一族二本松氏の相給とされている(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)

初め加賀藩領。当地の百姓助(現高沢家)は前田利家から扶持米七石五斗を受け十村を勤めたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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