火撫村(読み)ひなどむら

日本歴史地名大系 「火撫村」の解説

火撫村
ひなどむら

[現在地名]豊岡市日撫ひなど

六地蔵ろくじぞう村および豊岡城下小田井おだい町の円山まるやま川対岸に位置し、当地で六方ろつぽう川が円山川に流入。日撫とも書いた(文化一一年「日撫村名寄帳」浜家文書など)。阿智使主の子孫火撫ひなで(新撰姓氏録)居住の地と伝え、火撫直を祀る日撫神社(現三坂神社摂社)がある。当地と北西山本やまもととの境にある愛宕あたご山のつる城は但馬守護山名持豊の築城で被官田結庄氏の居城とも伝えるが、天正三年(一五七五)同じ被官垣屋氏に攻められ(一一月二四日「八木豊信書状」吉川家文書)、田結庄是義は山下の菩提所正福しようふく寺に入って切腹、寺を焼いたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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