灯明崎(読み)とうみようざき

日本歴史地名大系 「灯明崎」の解説

灯明崎
とうみようざき

[現在地名]太地町太地

太地の北東端、熊野灘に突出し、海岸線は岩場が続く。「続風土記」によれば、室崎むろのみさきとも太地崎ともよんだという。また「続日本紀」天平勝宝六年(七五四)正月一七日条に「大宰府奏、入唐副使従四位上吉備朝臣真備船、以去年十二月七日、来著益久島、自是之後、自益久島進発、漂蕩着紀伊国牟漏埼」とある牟漏むろ埼をこの灯明崎にあて、牟漏埼を潮岬しおのみさき(現西牟婁郡串本町)にあてる説を否定している。

太地の鯨漁刺手組を組織した和田頼元の子頼照が、廻船や鯨舟の安全のために寛永一三年(一六三六)この地に常灯明台を建造した。灯明台は年中休まず夜を通して点灯されており、その油は鯨漁により豊富に得られた鯨油という(熊野太地浦捕鯨史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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