太地(読み)たいじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太地」の意味・わかりやすい解説

太地(町)
たいじ

和歌山県南東部、熊野灘(くまのなだ)に面する東牟婁(ひがしむろ)郡の町。1925年(大正14)町制施行。JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号が通じる。熊野灘に突出した鷲ノ巣(わしのす)崎と燈明(とうみょう)崎(室(むろ)崎)の海食台地に抱かれた太地湾に臨む漁港を中心とする。地名は、南北朝初頭に源氏の一族泰地氏(たいじうじ)がこの地の豪族となったからであろうと『紀伊続風土記(ぞくふどき)』にあり、古くは泰地とも書いた。また同じころこの地に来て泰地氏と並んで豪族となったとされる和田氏の子孫頼元が1606年(慶長11)鯨(くじら)組を組織し、クジラの突捕(つきとり)を始めたが、その後網捕(あみとり)に改め、紀伊藩の保護を受け、捕鯨の港として発展した。明治以後捕鯨が一時衰え、マグロ定置網延縄(はえなわ)漁業が主となったが、捕鯨船乗組者が多く、近海捕鯨は継続された。しかし商業捕鯨の禁止により小規模沿岸漁業へ転換した。太地くじら浜公園には町立くじらの博物館や水族館、捕鯨船資料館がつくられ、近世捕鯨の遺跡を加え、「鯨の町」として観光地化を進めている。海岸吉野熊野国立公園域の景勝地で、いさなの宿「白鯨」がある。面積5.81平方キロメートル、人口2791(2020)。

[小池洋一]

『『太地町誌』(1980・太地町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「太地」の意味・わかりやすい解説

太地[町] (たいじ)

和歌山県南東部,東牟婁(ひがしむろ)郡の町。人口3250(2010)。熊野灘に突出する小半島を占め,海岸段丘をなす鷲ノ巣崎,灯明崎の二つの岬に囲まれた太地湾奥に中心集落がある。面積5.96km2は県下市町村中最小である。日本捕鯨発祥の地といわれており,捕鯨の起源は1606年(慶長11)和田頼元が刺手組を組織して鯨突漁を始めたことにあるといわれる。77年(延宝5)には頼元の孫頼治が鯨網漁を考案して捕鯨は急速に発展したが,1878年に暴風雨により100人余の死者を出し,漁船漁具なども失ったため衰えた。熊野灘の鯨が減少して南氷洋への捕鯨出稼ぎに転換したが,現在はこれも衰微し,近海でのブリ定置網,カツオ一本釣り漁業が盛んになっている。海岸一帯は吉野熊野国立公園に指定され,くじらの博物館,水族館,植物園,国民宿舎などが建設され,観光開発が進められている。JR紀勢本線,国道42号線が通じる。
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百科事典マイペディア 「太地」の意味・わかりやすい解説

太地[町]【たいじ】

和歌山県南東部,熊野灘に臨む小半島にある東牟婁(ひがしむろ)郡の町。中心の太地港は日本の捕鯨発祥地として知られ,1677年網取法が考案されて発展。近海捕鯨の衰退後は南氷洋への捕鯨出稼(でかせぎ)も多かったが,現在はイセエビ放流,ブリの定置網やカツオ一本釣り漁業が盛ん。2009年にイルカ追い込み漁を題材にした映画が公開され国内外で注目を集めた。海岸は吉野熊野国立公園に含まれる。紀勢本線が通じる。5.81km2。3250人(2010)。
→関連項目捕鯨

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世界大百科事典(旧版)内の太地の言及

【捕鯨】より

…その矛で捕獲されていたクジラはイルカの類と想像され,捕鯨と呼ぶには規模の小さいものであったと考えられる。 組織的な捕鯨の発祥地は,和歌山県の太地町といわれている。すなわち,1606年(慶長11),源頼朝の功臣和田義盛の後裔(こうえい)頼元は,銛で突いて捕る捕鯨を始め,〈刺し手組〉と名付けられた。…

※「太地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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