朝日日本歴史人物事典 「無空」の解説
無空
生年:生年不詳
平安前・中期の真言宗の僧。京都の人。俗姓は橘氏。真然に師事。寛平4(892)年から金剛峰寺座主を勤め,晩年に権律師となる。真然が東寺から高野山に持ち帰った空海の『三十帖冊(策)子』(入唐中,密教,経典などを筆写したノート)を無空が管理していた。だが,その所在をめぐって東寺との間に軋轢が生じ,延喜16(916)年,東寺の観賢から返却を要求された。無空は同書を携えて門徒と共に山城国円提寺(京都府綴喜郡)に移り,同寺で没した。一説に伊賀国蓮台寺(三重県上野市)に移ったといい,没年も同18年説,21年説がある。『三十帖冊子』は同18年に観賢の手に移り,翌年東寺に納められた。
(岡野浩二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報