日本歴史地名大系 「熊坂専修寺跡」の解説 熊坂専修寺跡くまさかせんしゆうじあと 福井県:坂井郡金津町熊坂村熊坂専修寺跡[現在地名]金津町熊坂熊坂の中央、字寺屋敷(てらやしき)にあった真宗高田派の寺院。近世初頭、伊勢の高田専修(たかだせんじゆ)寺と本末を争い、敗れて廃寺となった。跡地に北隣して堂(どう)ノ前(まえ)の地名が残る。大町(おおまち)専修寺(現福井市)と区別して熊坂専修寺と称された。〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉〔親鸞の法脈と住持職をめぐる争い〕高田専修寺は、親鸞が下野国高田(現栃木県二宮町)の如来堂にあって布教したことに始まる。本願寺が親鸞の血脈をもって相承したのに対し、専修寺は親鸞の法脈をもって伝えたものである。一〇代真慧の時教線を畿内近辺にまで延ばし、真慧は北陸から近江・伊勢へと布教し、文明六年(一四七四)頃伊勢一身田(いつしんでん)(現三重県津市)に専修寺の前身無量寿(むりようじゆ)院を建てた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by