熊野跡村
くまのあとむら
熊野盆地から北流して瀬野川に合流する熊野川沿いの谷あいを村域とする賀茂郡の村で、南は安芸郡熊野村(現熊野町)、北は上瀬野村に接する。東は水丸山(六六〇・二メートル)から南の小田山(七一九・一メートル)に至る標高四〇〇メートル級の山が連なり、西には鉾取山(七一一・五メートル)・原山(六七二・四メートル)の連山がそびえる。地勢的には安芸郡とのつながりが強い。
建治三年(一二七七)のものと思われる小槻有家申状(壬生家文書)に「御祈願所領安芸国阿土熊野保ハ、朝治か
父広房、文治四年ニ本領主貞宗か寄文を得て多年知行、建久七年ニハしめて宣旨を申下し候」とあり、当村は熊野村とともに、建久七年(一一九六)壬生官務家領として成立した阿土熊野保に属した。文永一〇年(一二七三)三月一九日付勘解由次官奉書(同文書)には「阿土熊野庄」の名がみえる。承久三年(一二二一)一〇月八日付清原宣景申状(清原家文書)に世能荒山庄内の「地頭相交之地」のうちに「□土村」と記されるが、これは当地と思われ、これによる限り、同じく壬生官務家領で阿土熊野保の北隣に位置した世能荒山庄に属していたとも考えられるが、詳細は不明。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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