阿戸村(読み)あとむら

日本歴史地名大系 「阿戸村」の解説

阿戸村
あとむら

[現在地名]安佐南区沼田ぬまた町阿戸

とも村の北西にあり、西北のふたッ山(八二九・九メートル)と東南の大谷おおたに山、東のたけ山の間を吉山よしやま川が西南の吉山村から流入し、東北の久地くち(現安佐北区)へ出る。流域に形成された広開谷が村の主要部分である。吉山川の西方では不明あけず峠を越えると佐伯郡和田わだ村に、権入道ごんにゆうどう峠は同郡しも(ともに現湯来町)に、ほとけ峠は久地村に通じる。村名について「芸藩通志」は駒の跡ばかりの田疇を開いたことによるとの里人の伝えを批判し、跡部姓の人の所領であったと推定、他郡にも同名の村が多く存在するとしている。

「芸藩通志」は「もと毛木村と一村なり」と記すが、この説に従えば鎌倉中期と推定される安芸国衙領注進状(田所文書)で、そま村と並立して「阿土毛木村三丁四反大」とある「阿土」がこの村のことかと考えられる。

阿戸村
あとむら

[現在地名]由良町阿戸

由良川の注ぐ由良湾南岸に位置する。北東は由良川を隔ててさと村の枝郷横浜よこはま浦。村の東部大谷おおたに川が流れ、由良湾に注ぐ。慶長検地高目録には「安戸村」とあり、村高二七六石余で、小物成三合。その後、網代あじろ浦が枝郷として分村した。

延宝六年(一六七八)の「日高鑑」では「阿戸二ケ村」として、田畑面積一九町八反、村高二八〇石。うち本村分は村高二六三石余、家数四五、人数二二五、牛一二で、家数の内訳は本役二五、半役五、無役一二、庄屋・年寄・ありき各一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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