改訂新版 世界大百科事典 「ナツメヤシ」の意味・わかりやすい解説
ナツメヤシ
date palm
Phoenix dactylifera L.
乾燥熱帯域で栽培されるヤシ科の高木。果実は主食的に利用される。樹高は30mに達し,根も深く張り,乾燥,暑熱,砂塵(さじん)にも耐性があり,砂漠化防止に本種の林帯の造成が有効とされている。葉は羽状複葉で長さ5mにもなり,数十枚が幹の頂部に群がる。雌雄異株で,雄花穂は長い花柄の頂端部分で多数の小花穂をほうき状に分枝し,黄白色の小さな花をつける。雌花穂も数百個の小花をつけるため,果実は多数が房状に結実する。成熟果は直径2cmほどの卵形をなし,紅色から黄褐色に熟れる。糖分に富み,乾果は干柿に類似し,アラブ地域の砂漠の遊牧民の貴重な携行食品である。メソポタミア付近の原産と推定され,前3000年ころには栽培が始まっていた。現在は中東からアフリカの乾燥熱帯・亜熱帯に多く,最近になって,北アメリカの乾燥地にも多く栽培されるようになった。生果と乾果は,果物としてよりも主食的利用が多い。直径50cmにもなる幹は,建材,橋材など各種の用材に,葉は屋根ふきや,繊維の利用がなされる。果実はジャムやゼリーに利用され,花軸を切断し,それから溢出(いつしゆつ)させた樹液からは糖が採取され,また酒が作られる。樹齢は80年に及ぶ。
執筆者:岸本 修
アラブでの利用
木の実が主食の座を占める例として,ポリネシアのパンノキと並んで,アラブのナツメヤシがある。ナツメヤシは現在,都市部では主食の座を降りてしまったが,田舎や砂漠地帯では食生活でまだこれを抜くわけにはいかない。この木自体,暑熱と塩害に強く,暑く乾燥した地域に適している。住民にとっても,栄養価が高く,熟させるか干すかして保存食となる実の利用に加えて,樹木の乏しい住生活に幹,枝,葉,髄,繊維とどれをとっても有用であり,恵みの物資となっている。産地としてはヒジャーズおよびイラクがとくに有名であり,後者ではバスラが最大の生産高を誇った。そこから遠くは中国にまで輸出されたといわれる。春先から秋までの実の生長は,同時にアラブの生活サイクルを区切るものでもあった。結実から成熟まで,大きさ,色づき,柔らかさを目安にして,17段階にも上る細かな生長段階別特称が与えられた。太陽の運行ではなく,星・星座の運行と関連させつつ生長度が計測されるのであり,ナツメヤシによる歳時記ができ上がっていたのである。果実は主食とされるだけでなく,そのジュースは断食明けにまず口にする飲物として貴ばれるし,ジャム,シロップ,菓子の主要材料ともなる。十分熟れた実から採れるみつは砂糖代りに使われ,また発酵させてアルコール飲料ともされる。
執筆者:堀内 勝
民俗,伝承
干したナツメヤシの実は,砂漠を旅する際に欠かせぬ携行品とされ,現在オアシスの周辺に茂るヤシの多くは,隊商が捨てた種子から生じたともいわれる。したがって,アラブ世界ではナツメヤシは〈生命の樹〉として表現されるとともに,富の象徴になった。古代エジプト人はこれが毎月1本ずつの葉を生やすので〈年暦の木〉と呼び,つねに緑の葉を絶やさないことをめでた。ユダヤではこれを勝利の象徴とみなしたが,おそらく大きな葉を絶やさぬ活力に由来すると思われる。この伝統はギリシアやローマに受け継がれ,オリンピックや剣闘士の闘いにおいて戦勝の象徴にヤシの葉の輪や冠が与えられた。ローマ軍は征服地を行進するとき,列の先頭にこれを掲げたという。
初期のキリスト教徒も,ヤシの葉を死の克服や信仰の勝利の象徴と見て,カタコンベの浮彫装飾などに多用した。幼子イエスを肩にのせて川を渡したという聖人クリストフォルスは,ヤシのつえを頼りに流れを渡りきったとされる。また,受難を前にしたキリストがエルサレムに入城したとき,民衆がヤシの葉を道に敷いて彼を迎えた故事から,英語では復活祭直前の日曜日を〈パーム・サンデーPalm Sunday(枝の主日)〉と称し,この日にはヤシの小枝(じつは葉)を手に持つことになっている。中世には聖地巡礼の記念にヤシの葉や枝を持ち帰る風習が生じ,ここから巡礼者は英語でpalmer(〈ヤシを持つ人〉の意)と呼ばれるようになった。なお,これらキリスト教の伝説や行事に出てくるヤシ類を日本では〈シュロ〉と訳しているが,正しくはナツメヤシである。
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報