南北朝時代の臨済(りんざい)宗の僧。妙心寺第2世。藤原宣房(ふじわらののぶふさ)の子として京都に生まれる。後醍醐(ごだいご)天皇の討幕計画に参画した藤原藤房と同一人物とする説もあるが、確証はない。後醍醐朝に勤仕するかたわら、明極楚俊(みんきそしゅん)、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)に参禅した。1334年(建武1)官を辞して洛北(らくほく)岩倉に隠栖(いんせい)し出家した。暦応(りゃくおう)(1338~1342)の初めごろ、宗峰の高弟で妙心寺開山の関山慧玄(かんざんえげん)に師事し、その印可を得て嗣法(しほう)した。関山の寂後、一山大衆の要請によって妙心寺第2世住持となった。1380年(天授6・康暦2)3月28日、85歳で示寂。のち神光寂照(じんこうじゃくしょう)禅師と勅諡(ちょくし)され、さらに円鑑(えんかん)国師と加賜された。
[藤岡大拙 2017年8月21日]
…51年(正平6∥観応2)綸旨によって再び妙心寺に住して,修禅を専らとする枯淡な禅風を宣揚し,《沙石集》には〈本朝ならびなき禅哲なり〉と称賛されている。形式的な読経規式にこだわらず厳しく学徒を指導し,法を嗣ぐことを許した弟子(法嗣)は授翁宗弼(じゆおうそうひつ)(1296‐1380)ただ一人であり,また妙心寺の伽藍や経営に意を用いることがなかった。1360年12月12日,関山は旅の支度をして授翁に行脚に出るといい,風水泉と称する井戸の辺で授翁に遺戒し,立ったまま息をひきとった。…
※「授翁宗弼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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