片子村(読み)かたこむら

日本歴史地名大系 「片子村」の解説

片子村
かたこむら

[現在地名]米沢市万世町片子ばんせいちようかたこ通町とおりまち五丁目・同七丁目・ひがし一丁目・東大通ひがしおおどおり一丁目

三沢みさわ村の北、羽黒はぐろ川を隔てて同川の西岸平地に立地。近世には山上やまかみ村のうち。米沢城下東端いま町から原方屋敷町花沢はなざわ八町のうちの信濃しなの町を経る街道を上片子道と称した(文化八年城下絵図)。当地はこの街道沿いにあり、同街道を挟んで上下の片子に二分されていた。米沢藩領から他領への出口にあたり、寛文四年(一六六四)上片子に藪口番所が置かれた(山形県史)。元禄二年(一六八九)の口々番所へ命令覚(編年文書)によれば、屋代やしろ郷代官柘植伝兵衛の家来が同街道を通る場合、上片子の新番所で入判、大沢おおさわ村と板谷いたや村で見留の判をもらって通行していた。


片子村
かたこむら

[現在地名]八日市場市片子・加多古かたこ

大堀おおほり村の東に位置する。南に借当かりあて川を望み、台地縁辺部に集落が形成される。寛文年間(一六六一―七三)と推定される国絵図に片子とみえる。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一一九石余で旗本富士領。弘化二年(一八四五)の関東取締出役控帳では高九三石余、家数二〇で旗本酒井領。酒井氏の知行は享保一六年(一七三一)からで幕末まで続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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