牛原庄(読み)うしがはらのしよう

日本歴史地名大系 「牛原庄」の解説

牛原庄
うしがはらのしよう

大野市街北部一帯に比定され、牛ヶ原の地名遺存する。長承元年(一一三二)の越前国司高階盛章庁宣案(醍醐雑事記)

<資料は省略されています>

とあり、円光えんこう院領の荘園であった。同院は応徳三年(一〇八六)白河院が寵愛した中宮藤原賢子の死を悼んで建立した醍醐だいご(現京都市伏見区)の一院室で、牛原庄もこの建立に伴い寄進されたものである。この間の事情は長承元年九月二三日付官宣旨案(同書)に詳しい。すなわち、越前国司源高実の任期内に「公家」が「応徳三年為奉報桝房之旧徳、卜彼牛原荒地二百余町、施入寺家、即定四至令打示、漸招浪人、開墾田代」とみえる。「醍醐雑事記」によれば当庄は本来奈良東大寺五師忠範を本主としたが、六条右大臣源顕房(中宮賢子の実父)画策によって、円光院に寄付されたとしている。

さて、前記官宣旨案によれば、立荘の際、国司高実が確定した四至は、東限真中河(真名川)・西限坂戸・南限猪山(亥山)・北限油滝(旧芦見村堺の九十九廻坂山頂付近を通称「アブランダン」と称する)であった。

また長承元年九月の官宣旨案によれば、その後、国司の交代に伴い荘域が度々変動。寛治四年(一〇九〇)には国司源清実によって、東限が真中河から大野河(清滝川か)に改められ、「裁免之田数」が若干減少した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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