牛島秀彦(読み)ウシジマ ヒデヒコ

20世紀日本人名事典 「牛島秀彦」の解説

牛島 秀彦
ウシジマ ヒデヒコ

昭和・平成期のノンフィクション作家 東海女子大学英米文化学科教授。



生年
昭和10(1935)年1月27日

没年
平成11(1999)年7月12日

出生地
中国・青島

出身地
佐賀県佐賀市

学歴〔年〕
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒,ハワイ大学東西文化センター大学院修了

学位〔年〕
Ph.D.(哲学博士)

経歴
“100年戦争”と呼号された大東亜戦争時の“少国民”体験を原点に、米国留学と、米国での生活の体験をふまえて、ミクロ的・マクロ的に時代と人物に取り組んだ。テーマは、米国、戦争、天皇(制)、時代を象徴する人物…と多彩。東海女子大学教授、ホノルル大学客員教授を務めた。いとこで特攻隊員として戦死したプロ野球・名古屋軍(現・中日)の石丸進一投手を描いた「消えた春」は、「人間の翼」として映画化された。主著に「もう一つの昭和史」(全6巻)「行こかメリケン、戻ろかジャパン―ハワイ移民の100年」「昭和天皇と日本人」「天皇明仁」「ニッポン帝王学」「九軍神は語らず」「真珠湾」「消えた春―名古屋軍投手・石丸進一」「われ凍土の下に埋もれ―山崎軍神部隊」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牛島秀彦」の解説

牛島秀彦 うしじま-ひでひこ

1935-1999 昭和後期-平成時代のノンフィクション作家。
昭和10年1月27日中国青島(チンタオ)生まれ。「リーダーズダイジェスト」編集者時代,「非国民的天皇論」をかき,解雇される。その後フリーライターとして「もう一つの昭和史」「二人だけの戦争」などで昭和史の掘り起こしにいどんだ。東海女子大教授をつとめた。平成11年7月12日死去。64歳。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「牛島秀彦」の解説

牛島 秀彦 (うしじま ひでひこ)

生年月日:1935年1月27日
昭和時代;平成時代のノンフィクション作家
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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