牟羽可汗(読み)ぼううかがん(その他表記)Mou-yu Ke-han; Mou-yü K`o-han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「牟羽可汗」の意味・わかりやすい解説

牟羽可汗
ぼううかがん
Mou-yu Ke-han; Mou-yü K`o-han

[生]?
[没]779
ウイグル国第3代のカガン (在位 759~779) 。別名テングリ・カガン。葛勒可汗 (かつろくかがん) の子の移地健。 759年父の跡を継いで即位し,牟羽可汗と号した。牟羽はボグ bögüで「賢い可汗」の意。安史の乱末期の 762年史朝義を平州に討ち,唐から英義建功可汗に封じられた。またウイグルに初めてマニ教を導入し,これを国教とした。 779年ソグド人のすすめによって唐を攻めようとしたが,宰相トン・バガ・タルカン (頓莫賀達干) に殺された。

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