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遣新羅使 けんしらぎし

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大辞林 第三版の解説

けんしらぎし【遣新羅使】

古代、日本の朝廷から朝鮮半島の新羅に派遣された外交使節。六世紀末頃から八世紀末頃までつづけられ、それにより中国大陸や朝鮮半島の文物制度がもたらされた。

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(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

遣新羅使【けんしらぎし】

日本古代の朝廷が新羅に派遣した使節。《日本書紀》によると欽明天皇の時代より新羅との間で任那(みまな)問題をめぐる交渉があり,日本側の使節は新羅系渡来人の吉士(きし)氏が多く任命された。

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世界大百科事典 第2版の解説

けんしらぎし【遣新羅使】

571年から882年まで約3世紀にわたって日本から新羅へ派遣された公の外交使節。その時期・性格上3期に分けることができる(表参照)。(1)第1期(571‐642) 532年加羅(伽倻)諸国のうち洛東江下流域の金官伽倻(南加羅)などが新羅に降り,562年最後まで残った安羅伽倻などが新羅に服属して以後,日本と新羅の間に任那(みまな)問題をめぐる外交折衝が双方の使節によって展開された。新羅はみずからの調とともに任那の調を進める朝貢形式の儀礼をとったが,その起源が5世紀以来加羅諸国に日本が関与したことによるか,6世紀後半の新羅の国際環境にもとづく対外政策から出たかは速断できない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遣新羅使
けんしらぎし

古代、日本の政権から新羅に派遣された公式の使節。記録に明らかな使節は、欽明(きんめい)朝の571年(欽明天皇32)以降に限ると、882年(元慶6)まで46回を数える。
 朝鮮南部の加羅(から)諸国の中心勢力である金官(きんかん)(南加羅)が532年、安羅(あんら)が562年、新羅に服属すると、日本の大和(やまと)政権は前代以来の対任那(みまな)政策を継承して、使節による外交折衝を展開し、新羅の「朝貢」を要求し、征討軍を計画するなど強硬策をとった。
 646年(大化2)孝徳(こうとく)朝の政権は新羅を含む東アジアの等距離外交に転じたが、663年百済(くだら)の役(白村江(はくそんこう)の戦い)によって日羅間の外交は中断した。668年(天智天皇7)国交を回復し、頻繁に使節を交換しあったが、当時、日本と唐との関係は30年間空白であったので、唐留学生・僧が新羅を通ったほか、新羅への留学生・僧も多く、古代国家の完成に向かう日本の政治、制度、文化などに直接与えた遣新羅使および新羅使節の影響はきわめて大きいものがある。
 奈良時代に入った720年代、新羅北方の渤海(ぼっかい)が日本と国交を結び、新羅も日本の支配層と同様に中華意識を強めるようになると、日羅の国交は冷却した状態を生じた。759年(天平宝字3)から日本は渤海と提携して新羅征討を企てたが、遣新羅使も753年(天平勝宝5)以降しばしば新羅に拒絶された。779年(宝亀10)日本の遣唐使の送付のために両国使節が往来したのを最後に実質的な公的交渉は終わった。しかしこの間、日本に新羅の文化・文物が多数もたらされたことは正倉院の文書や宝物に証される。[鈴木靖民]
『鈴木靖民著「天平文化の背景」(『日本史1 古代』所収・1977・有斐閣新書)』

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