571年から882年まで約3世紀にわたって日本から新羅へ派遣された公の外交使節。その時期・性格上3期に分けることができる(表参照)。(1)第1期(571-642) 532年加羅(伽倻)諸国のうち洛東江下流域の金官伽倻(南加羅)などが新羅に降り,562年最後まで残った安羅伽倻などが新羅に服属して以後,日本と新羅の間に任那(みまな)問題をめぐる外交折衝が双方の使節によって展開された。新羅はみずからの調とともに任那の調を進める朝貢形式の儀礼をとったが,その起源が5世紀以来加羅諸国に日本が関与したことによるか,6世紀後半の新羅の国際環境にもとづく対外政策から出たかは速断できない。日本は新羅系渡来人の出の吉士(きし)氏を多く使節として交渉にあたらせたり,征討軍を準備して威圧するなど強硬策をとった。(2)第2期(646-700) 646年(大化2)孝徳朝の政権はそれまでの対新羅外交を変更し,任那の調も廃した。600-663年の間日本と親密な関係を続けた百済が唐・新羅によって滅ぼされ,いわゆる百済の役(白村江の戦)がおきて日本と新羅の外交は一時中断したが,668年(天智7)復交すると頻繁な使節の往来があった。この時期,30年間日本と唐の関係は空白状態にあったので,唐留学生・僧が新羅を経由したほか,新羅留学生・僧も少なくなく,律令制確立期の日本の政治・制度・文化に与えた遣新羅使と新羅使の影響は無視できない。(3)第3期(703-882) 703年(大宝3)以後使節による比較的安定した交流が続いたが,720年代両国の関係に亀裂を生じた。727年(神亀4)新羅北方に対峙する渤海が日本と国交を開いたこと,新羅も日本支配層と同じく相手を朝貢国視していたことがその原因である。743年(天平15)の新羅使が〈調〉を朝貢の意のない〈土毛〉と改称した事件以後752年(天平勝宝4)まで使節はなく,日本では759年より新羅征討計画が立てられ,新羅使を拒絶したが,遣新羅使も753年以降779年(宝亀10)まで新羅に拒否されるなど成功しなかった。779年遣唐使の送還のための両国使節の往来を最後に実質上の公の交流は終わった。
→遣唐使 →遣渤海使
執筆者:鈴木 靖民
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古代、日本の政権から新羅に派遣された公式の使節。記録に明らかな使節は、欽明(きんめい)朝の571年(欽明天皇32)以降に限ると、882年(元慶6)まで46回を数える。
朝鮮南部の加羅(から)諸国の中心勢力である金官(きんかん)(南加羅)が532年、安羅(あんら)が562年、新羅に服属すると、日本の大和(やまと)政権は前代以来の対任那(みまな)政策を継承して、使節による外交折衝を展開し、新羅の「朝貢」を要求し、征討軍を計画するなど強硬策をとった。
646年(大化2)孝徳(こうとく)朝の政権は新羅を含む東アジアの等距離外交に転じたが、663年百済(くだら)の役(白村江(はくそんこう)の戦い)によって日羅間の外交は中断した。668年(天智天皇7)国交を回復し、頻繁に使節を交換しあったが、当時、日本と唐との関係は30年間空白であったので、唐留学生・僧が新羅を通ったほか、新羅への留学生・僧も多く、古代国家の完成に向かう日本の政治、制度、文化などに直接与えた遣新羅使および新羅使節の影響はきわめて大きいものがある。
奈良時代に入った720年代、新羅北方の渤海(ぼっかい)が日本と国交を結び、新羅も日本の支配層と同様に中華意識を強めるようになると、日羅の国交は冷却した状態を生じた。759年(天平宝字3)から日本は渤海と提携して新羅征討を企てたが、遣新羅使も753年(天平勝宝5)以降しばしば新羅に拒絶された。779年(宝亀10)日本の遣唐使の送付のために両国使節が往来したのを最後に実質的な公的交渉は終わった。しかしこの間、日本に新羅の文化・文物が多数もたらされたことは正倉院の文書や宝物に証される。
[鈴木靖民]
『鈴木靖民著「天平文化の背景」(『日本史1 古代』所収・1977・有斐閣新書)』
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朝鮮半島を統一した新羅に日本が派遣した外交使節。668年(天智7)の道守麻呂(ちもりのまろ)に始まり,836年(承和3)の紀三津に至るまで,総計27回を数えるが(「三国史記」にはこの期間中に日本側の史料にみえない使節6回を載せる),その大半は8世紀半ば以前である。初期には唐と対抗関係にあった新羅と,遣唐使の派遣を中断していた日本との関係は良好で,仏教その他の先進文物を将来するために頻繁に派遣された。8世紀以降は新羅を従属国とみなす日本との関係が険悪となり,遣唐使の往来の確保などとくに必要なときにのみ派遣された。「延喜式」では使節は大使以下,判官(じょう)・録事・大通事・史生(ししょう)・知乗船事・船師・医師・少通事・雑使・傔人(けんじん)・鍛工・卜部(うらべ)・柁師(かじし)・水手長(かこおさ)・挟杪(かじとり)・水手(かこ)からなる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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