最新 心理学事典 「認知」の解説
にんち
認知
cognition
人間の心の働きは,早くから知情意という3分類がなされてきた。知は何かを知ることであり知覚,認識,理解などを指し,情は何かを感じることであり感情や情動を指し,意は何かを行なおうとすることであり意図や意志を表わしている。認知とはこの分類でいえば知に該当する。
【認知と他の心理機能】 ただし,実際にはこの三つは相互に深いつながりをもっており,多くの場合認知が情や意と独立に行なわれているわけではない。感情の状態によって注意の度合いや,記憶や,思考の仕方が変化することはよく知られている。また何かを行なおうとする動機や,動機が何によって生み出されるのかが,学習に強く影響することもよく知られた事実である。その逆もまた真であり,認知の結果,感情や動機づけが変化することはいうまでもない。
心理学の中では,感覚,知覚,認知という区別が行なわれてきた。一般に感覚sensationとは,特定の感覚器が受け取る刺激の察知やその強度の把握に用いられる(たとえば「赤い」,「熱い」など)。知覚perceptionは特定の感覚の察知だけではなく,その感覚を与える対象の全体的な把握を含む場合に用いられる(眼前の対象が「丸くて赤くて光っている」など)。認知はさらに知覚内容を関連する他の情報と結びつける活動を含む場合を指すことが多い(眼前の「丸くて赤くて光っている」ものを「赤信号だ」とすることなど)。一般に認識する内容の複雑さに応じて,感覚,知覚,認知を使い分ける傾向がある。ただしこの区分も曖昧であり,どこまでが知覚であり,どこから先は認知であるという明確な線引きができるわけではない。
【心理学史の中の認知】 心理学史の中の認知,さらに心理学史の観点からすれば,認知という用語は行動主義behaviorismと対比的に使われ,ある研究の立場,スタンスを表わすこともある。行動主義では主に強化に基づく刺激と反応との間の関数関係を特定することが目的とされてきた。こうした立場とは異なり,強化を要しない行動,報酬とは無関係な生体の内的状態に言及する際に認知ということばは使われていた。たとえば認知地図,認知的不協和,認知スタイルなどの用語が挙げられる。一方,情報科学の考えに触発されて,1970年代あたりから急速に発展した認知心理学cognitive psychologyにおいては,認知という用語の使われ方がもう少し限定的となる。そこでは,刺激(入力)と反応(出力)の間で何が行なわれているかに焦点が当てられる。つまり,入力情報にどのような内部処理(計算)が行なわれるのか,その結果どのような出力(表象)が生み出されるのか,またその内部処理はどんな構造によって可能になるのかを探究するのが認知研究となる。このような文脈で認知ということばが用いられる場合には,カテゴリー化,推論などはもちろん,そこからの目標の生成,プランニング,意思決定,実行過程のモニタリングまでもが含まれる。
【認知と意識】 認知ということばは通常,対象を意識的に把握するという意味合いをもち,認知された事柄は多くの場合,言語的に記述可能であると思われている。また学習や思考などの一定以上高次の認知は,そのプロセスについても言語化や意識的なコントロールが可能であるかのように一般には考えられている。しかしながら,認知は意識consciousnessや言語languageが関与しない場合にも成立している。プライミングを用いた潜在記憶研究では,事前に経験したことによって後続の課題の成績が変化するが,このことに被験者が気づくことはない。また事前の課題において被験者が意識できないレベルの刺激(サブリミナル刺激subliminal stimulus)を提示することによっても同様の効果を得ることができる。このことは意識化されなくてもある種の認知状態が生起しており,それによって行動に影響が出ることを示している。認知は言語化とも独立である。熟練した行動は多くの場合言語化することはできないし,その行動をコントロールする過程を意識することもできない。たとえば歩行に関しては,重心の移動,そのスピード,各関節の曲がり具合,およびそれらの間のタイミングなどを瞬時に認知して制御する必要があるが,こうした過程について人間はほとんど何も語ることはできない。一般に熟練した行動にかかわる認知はほとんどの場合言語化できない。
またわれわれは,行動や判断を意識的にコントロールできると思っているが,必ずしもそうではない。錯視図形はそれが錯視であることを知っていても,錯視がなくなるわけではない。また偶発学習のように記憶しようという意識がなくても,かなりの程度の記憶がなされてしまう。さらに人の思考や判断の過程についての内省は,事実と一致しないことが多いことも知られている。このように認知は,意識や言語とはかなりの程度独立したものである。
【認知の進化,認知の発達】 認知は生得的な機構と経験から獲得された知識とによって可能になる。この場合,環境からの働きかけが一切必要ないとか,出生直後からその認知が可能ということを意味するわけではない。通常の環境で育つ人間であれば,ほぼ確実に出会う環境からの情報により半ば自動的に発現するのであれば,それは生得的といえるだろう。こうしたことからすれば作業記憶や長期記憶の存在やその間のつながり,知識の貯蔵の形式や活性化のされ方,3次元の知覚,模倣,言語理解や発話などの認知機能を実現する構造も進化的に形成されてきたものであり,人間という種に普遍的に存在しているという意味で生得的と考えられる。一方,人間に限らず生物一般は生後直後からさまざまな経験を重ね,それらの一部を認知機構の内部に貯蔵し,必要な場面でそれを再利用する。これによってより適合的な行動を行なうことが可能になる。人間の場合,内部に貯蔵されたものは一般に知識knowledgeとよばれるが,それはエピソード,概念,手続きなどのタイプに分かれる。
【認知と文化】 人間の認知は経験によっても影響されるということから,認知と文化cultureの関係を考える必要が出てくる。文化とはそこに所属する人間の経験のあり方をコントロールする装置だからである。一対一の対応はないが,ある文化内ではある特定の言語が用いられることが少なくない。ある言語には存在するが別の言語には存在しない単語は数多い。単語は概念を表わすわけだから,異なる言語の間では世界の認知のされ方が異なる可能性がある。サピア-ウォーフの仮説Sapir-Whorf hypothesisは,こうした可能性を最初に指摘したものである。実際には言語と認知の関係は複雑であり,この仮説を肯定する見解と否定する見解がある。
一方,言語を超えた文化差を指摘する研究もある。たとえば,西洋的なものの見方と東洋的なものの見方は異なるという指摘は以前からよくなされてきた。近年はこれらの直感を裏づける,より厳密な研究が行なわれ,西洋は分析的で焦点化された認知や試行が行なわれている一方,東洋は包括的で総合的な認知や思考が行なわれているという報告がなされている。また,一定以上近代化した社会ではどこでも公教育が行なわれている。こうした教育によっても認知は変化することが知られている。一般に公教育を受けた場合には,具体的な文脈情報に依存する度合いが低くなり,形式的・抽象的な思考が可能になる。しかし,文脈情報を無視することは,必ずしも妥当とはいえない。こうした意味で学校文化が育てるのは,学校的な知性であるという指摘がある。
人間は言語という道具をうまく活用することで文化を発達させた。人間と対話すること,教育を受けること,書物を読むこと,これらはすべて言語の存在を抜きにしては考えられない。言語を利用した文化によって,他者の経験を自分の中に効率的に取り込むことが可能になった。こうしたことにより,進化的に見ればきわめて短い時間で,人間が他の生物とは異なる発展を遂げたとする指摘がある。
また人間はさまざまな道具toolを利用して,それを文化として蓄積してきた。道具は人間の行なう知的作業の一部を代行するものであるので,これをうまく利用することで知的作業の効率,生産性,創造性が高まる。近年は,紙や鉛筆などの道具に加えて,コンピュータや,インターネット,あるいはそれらを含む状況一般との関係で認知をとらえようとする研究が進められ,状況的認知situated cognition,あるいは分散認知distributed cognitionの研究として展開している。すなわち認知は個人の中にのみあるのではなく,環境や他者とのかかわりの中に埋め込まれているとする考え方である。【認知の比較研究】 認知の比較研究はヒトの認知を構成する記憶,注意,選択,推論など多くの機能が基本的には動物でも認められることを明らかにしてきた。もちろんヒトにおいて傑出している認知能力もあり,その一つは社会的認知である。社会生活を営む上で他者の情動に関する感受性はきわめて重要であり,共感はその基本的な機能である。共感empathyは他者の情動を自分の情動と共有することであり,他者の情動の認知であるにとどまらず自己と他者の情動とのマッチングである。したがって,共感は他個体認知と自己認知をつなぐものと考えることができる。
他者の状態と自己の状態の関係は4通りに分けることができる。他者の不快が自分の不快になることが基本であり,これが「負の共感」である。同情がこれに当たる。逆に他者の快が自己の快になるのが「正の共感」である。しかし,他者の快が不快に感じられること(いわゆる嫉妬など)も考えられ,逆共感といわれる。さらに他者の不快を快とする場合(日本語での「他人の不幸は蜜の味」)は,ドイツ語のSchadenfreude(シャーデンフロイデ)が慣用的に用いられている。
他者の不幸が嫌悪性をもつ負の共感は多くの種で認められている。他者の不快の表出はしばしば自己にとっても危険の信号となり,これが嫌悪性をもつことは危機回避としての機能をもつ。他者と自己が同じ強化を得ている場合には,正の共感は社会的促進として考えられ,これは摂食行動などで認められるが,快状態にある個体を観察することが動物にとって一般的に強化効果をもつかどうかは疑問の余地がある。逆共感はそれによる直接的な利点はなく非合理的な行動だと考えられるが,持続的な社会においては公平性の基礎をなすものだと考えられる。Watanabe,S.(2011)はマウスを用いて正の共感,負の共感を示す結果を得ている。人間社会の公平性のような規範化されたものを動物社会で求めることはできないが,逆共感はその前駆となるものの一つだろう。Schadenfreudeにおいても直接的な利点はなく,ヒト以外の動物では認めにくい。ヒトのSchadenfreudeの本質的な特徴は快感を秘匿するところにある。他者の不幸が快感であることのあからさまな表明は社会の維持には不適切であり,このような敵対的な情動の秘匿は長期持続的な社会の維持に必要な行動であると思われる。
【動物の自己認知】 動物の自己認知self cognitionは,鏡に映る自己像を自分であると理解できるかどうかによって検討されることが多い。チンパンジーは初めて鏡を見たとき,鏡映像に対して威嚇やあいさつなど,他個体に対する社会的行動を示す。しかし,すぐにこれらの社会的行動は消失し,自分の体のうち直接見られない部位を調べるなどの自己指向的行動を示すようになる。同様のことは,ヒトでも小さな子どもや先天盲で開眼手術を受けた人などで見られる。これらのことから,鏡映像を自分であると認識するためには,鏡を見るという経験が不可欠であると考えられている。ギャラップGallap,G.G.(1970)は,チンパンジーの鏡映像に対する自己認知を実験的に検討するために,マークテストmark testを考案した。マークテストとは,動物に気づかれないように,額など直接自分では見えない場所にマークを付け,後で鏡を見せたときに,マークに触れるなどの自己指向的行動が出現するかを検討する方法である。このマークテストでは,ヒト,ボノボ,チンパンジー,オランウータンなどの類人猿がマークを触れるようになるのに対して,類人猿以外の霊長類の多くは,かなり長い期間,鏡に触れる機会があっても,社会的行動が消失せず,自己指向行動が見られない。霊長類以外の哺乳類では,ハンドウイルカ,シャチ,アジアゾウが,鳥類ではカササギが自己鏡映像に対する自己指向的行動を示すことが報告されている。また,無脊椎動物ではイカで自己認知を示唆する結果が報告されている。したがって,鏡像自己認知recognition of mirror self-imageはヒトとの生物学的類縁とは関係なく,いくつかの種の進化の過程で独立に生じた認知能力だと考えられる。ただ,マークテストでの自己指向的行動の解釈には,これを自己意識の反映で,心の理論の基盤となるものだとする立場と,鏡に映る自分の姿の視覚情報と自分の運動感覚との見本合わせ能力とする立場がある。Toda,K.ら(2008)はビデオの遅進再生装置を用いて,ハトが自分の運動感覚とその動画とのマッチングが3秒程度まで可能であることを得た。
動物の自己認知は,長い間,鏡映像自己認知というパラダイムに限定されていたが,1990年代半ばに,非言語手続きによってエピソード記憶やメタ認知を検討する手法が考案されたことで,飛躍的に研究分野が拡大した。
【メタ認知metacognition】 自分自身の知識の有無,記憶の確かさ,確信度などの認知過程をモニタリングすること,および目標に応じて行動を調整することを総称してメタ認知という。記憶に関するモニタリングをとくにメタ記憶ともいう。動物におけるメタ認知を研究する手法は,スミスSmith,J.D.ら(1995)によって考案された。彼らは,ハンドウイルカに,ある基準音と比べて刺激音の周波数が同じか低いかを弁別するように訓練した。テストでは,回答選択肢に加え,回避選択肢が与えられた。回避選択肢を選ぶと主課題は弁別が容易な課題と置き換えられ,報酬が得やすくなった。一方,回避を多用すると,課題置き換えにより長い時間がかかるペナルティが与えられた。ハンドウイルカは,刺激音が基準音に近づくにつれ,より高頻度で回避し,この傾向は,同じ課題遂行中のヒトのそれと一致していた。この結果から,イルカがヒトと同様に,確信のなさを手がかりに回避していたと考えられる。この研究以降,動物のメタ認知は,知覚弁別や記憶再認などの主課題とは別に,それの遂行前,遂行中,および遂行後の回避選択による副課題を付加し,主課題の難易度や成績と副課題の選択の相関を調べることで検討されている。また,回避選択以外にも,課題が難しい時に,追加情報(ヒント)を希求する行動もメタ認知であると考えられている。
上述のハンドウイルカ以外では,霊長類がさまざまな課題でメタ認知的行動を示すことが報告されているが,他の動物では研究報告数自体が少ないため,どの動物にどのようなメタ認知があるのかは明らかになっていない。しかし,ハト,ニワトリ,カラスなどの鳥類において,課題遂行後の確信あり,なし判断が回答正誤と相関することを示すことが報告されるなど,メタ認知は霊長類に限定されるものではないと考えられている。動物では,自己意識や内省的過程に関する研究は長い間,鏡映像自己認知に限定されていたが,メタ認知研究はこれらを別の側面から検証可能な形で定義した点で大きな意義がある。 →意識 →感覚 →感情 →記憶 →社会的学習 →知覚 →知識 →認知心理学 →弁別学習 →メタ認知
〔鈴木 宏昭〕・〔渡辺 茂・後藤 和宏〕
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