牧野忠泰(読み)まきの ただひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧野忠泰」の解説

牧野忠泰 まきの-ただひろ

1845-1882 幕末-明治時代の大名
弘化(こうか)2年9月16日生まれ。肥前福江藩(長崎県)藩主五島盛繁(もりしげ)の子五島盛保の3男で,盛繁の養子越後(えちご)(新潟県)三根山(みねやま)領主牧野忠興(ただおき)の養子となり,安政4年家督をつぐ。文久3年6000石から1万1000石へ高直しされ諸侯に列した。戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越列藩同盟にくわわる。明治3年藩名を峰岡藩改称。明治15年8月1日死去。38歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む