狄塚村(読み)えづかむら

日本歴史地名大系 「狄塚村」の解説

狄塚村
えづかむら

[現在地名]軽米町狄塚

折爪おりづめ岳の東麓、瀬月内せつきない川の両岸に位置し、北は山内さんない村、南は江刺家えさしか(現九戸村)正保国絵図に村名がみえ高一八石余。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳では田二八石余・畑九石余。天保五年(一八三四)の南部領高辻帳による〆高も同様である。なお文化八年(一八一一)の雹の被害調査では山内村の中に一括されている。村内で蛇行する瀬月内川の沖積地に立地するため、氾濫の被害を受けやすく、天明五年(一七八五)の暴風雨では用水堰一〇〇間ほどが流出した(八戸藩日記)。文化二年に虫害のため不作となり、高一二石七斗余の引金は砂金四匁七分四厘五毛であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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